2014.3.26

ウサコ&エイトは幼稚園へ。
春休み中の特別保育。
ふたり揃っての幼稚園はこれが最後かな?

わたしは、おゆろ家と合流して益城インターへ。
「みくさのみたから」の講座を受けに行く。

わたしは宮崎から高速バスで到着した講師の飯田さんたち3人を乗せて移動。
その間、ダンボール箱を机にして有機生活で買ったニンジンをポリポリかじるお3方。
ウサギみたいで面白かったなぁ。

そう、初対面から不思議な人だった、飯田さんは。
会場までの20分くらい、ちょっとだけ話したんだけど
魂の入っていない、まるで「記号」のような言葉を無意識に使うことの危うさ。
わたしの核心をドーン!とやられて返す言葉が無かった。

嵐の様な雨の中、洋服が湿っぽく濡れてしまいながら会場の道場へ向かう。
顔なじみがたくさんいて、集まったメンバーが面白かった。
座って話をきく時間が多く、とつぜん飯田さんは妙な動きをして体をポキポキ鳴らしている。
初めは驚いたその光景も、講話が進み自分たちも実践してみると違和感がなくなった。

「みくさのみたから」は言葉では説明しずらいところがあり、まずは自分が実践して体感して心で理解してゆくものだと感じた。

飯田さんは「まず21日間続けてみれば変化があるよ」と言う。
よく理解できていない部分がまだまだあるけれど、21日間やってみようかな。
子どもたちを幼稚園に預けてまで会場に足を運んだのだからね。

初対面の時に飯田さんが「京都に居たことある?」と聞かれた。
どこかで会ったことあるのかなぁ。
それでも修学旅行以外に京都に滞在したことがないわたし。
講話の間中、飯田さんは自分のことを「わし」と呼ぶのだけど
わたし過去に1人だけ自分を「わし」と呼ぶ人に会ったことがあるのを思い出した。
でも、それが誰だったのかは思い出せない。

いつ、どこで会った誰なのかは覚えていないのだけど
確かに「わし」と呼ぶ人に会っている。
いつの日か思い出す時がくると良いなぁ。

「みくさのみたから」を忘れないようにメモ書きすると…

*ちのみちとおす
*たなそえる
*ましないかしる

「ちのみちとおす」は体の気づまりをとること。
「ち」は「いのち」のことで、血・乳・地・風・霊・氣・千・風など、「ち」という音が残っている字がたくさんあるんだって。
これは「流れるエネルギー」を意味していて、この流れが滞ることで様々な症状がでるらしい。
この流れを通すこと、それが「ちのみちとおす」

これにはちょっとコツがあり、イケ目・イケ顔・イケ吐息がポイント。
目を閉じたまま上をみて(イケ目)、口をあくびをする感じに開き顔の中で気持ちのよい箇所の力を入れ(イケ顔)、腰や首や手やら、動きたいように力を入れて動かしてゆく。
そうすると自然に声が出て(イケ吐息)、この音の周波数は命が必要として出している周波数になる。
このイケ吐息に、あとで紹介する「ましない」を乗せるとより効果的。

そう、イケ目をしたあたりから、自分の源の命と繋がって必要な動きへ導いてくれる。
頭で考えることじゃなく、体(いのち)が何よりのお医者さん。

「たなそえる」は手の心を当てて、相手にあやかるもの。
自分自身のちのみちが滞っている状態で、人に対してたなそえるのは間違っていて
たなそえる前に、自分のちのみちをとおすのが大切。
そして「自分が相手に何かをしてあげる」のではなく、お互いさまさまで相手に「あやかる」もの。
一方通行ではなく、お互いにエネルギーの交流をしていることを忘れない。
これって大切だなぁ。

よくヒーラーのお友達で施術するほどに元気になるって話を聞くけれど
それはちゃんと「たなそえる」ができてるんだろうな、と思い出した。
「たなそえる」には「ありがとう」の感謝の気持ちがあって、お陰さまさまってことなんだろうな。

そして「ましないかしる」は「おまじない」のこと。
「ま」は「真」を表していて「本当のことを言おう」と飯田さんは何度も言っていた。
まさに「言霊」を使うこと。
今回はいろんな例をあげてもらいながら、自分だけの「ましない」を歳の数くらいは作ってみようと提案。
これはとても個人的で大切なものだから、誰にも教えずに大切にすること。
人生でたったひとつの自分だけの詩をつくること。
それを1日1回、唱える。
念仏のように繰り返し唱えても良し。
ちのみちとおす時にイケ吐息に乗せても良し。

これを21日間続けてみると変化が起こる。
毎日唱えるましないの中でも、特別なましないがでてくる。

「みくさのみたから」は術なので、身に付けることが大切。
そうして身について3年半で大きく変わるんだって。
なんだか楽しみだな。

まずは「ましない」を考えることからだね。

そうそう。飯田さんのお話で興味深かったこと。
誰でもお腹が空いたらご飯を食べるということは知ってるけど
心の飢え乾きをどうすればいいかを知らない。

この心の飢え乾きをちのみちを通すことで満たしてあげよう。
そして「〜ねばならない」「〜べき」の考えが浮かんできたときには
「みたからの入口」イケ目・イケ顔・イケ吐息でちのみちを通してゆこう。

できることから無理せず始めようと思うのだけど、イケ目は瞑想でも使える気がする。
イケ目になったとたんに、余計なこと考えるのが難しくなっちゃう。

そうんな感じの濃ゆい4時間でした。

帰りは約束の時間をとうに過ぎていて、ツカパスタを食べる前に温泉に行き
「眠いよ〜」と瞼が閉じそうな2人にあわててご飯と歯磨きをして床に就きました。

今日もありがとう。