ちょっとだけ前進

6月27、28日に地元・菊池市で「水源祭り」が開催され
我が家から車で5分ほどの場所にある会場には、たくさんの人が集まりました。

関係者のみなさま、ご苦労さまでした☆

「こびとのマルシェ」を仲間と主催してるため、マルシェに参加してないので「あれ?」と思われた方も何人かいまして。

そうそう、今回は本当にお客さんとして遊びに行きました☆

マルシェもスタッフとしては関わっていません。

このお祭りの企画があがった当初。
「菊池でのお祭りだから、こびとのマルシェも一緒にやろう」と話しがあり
その時、わたしは何となくお断りしました。
「手伝えることがあれば手伝うけれど、スタッフとしては遠慮しようかな。」そんな感じで。

子どもにあまり負担を掛けたくないのと、何よりわたしの心が「NO」と言ったのが理由。
で、どんないきさつだったか忘れちゃったけど相棒のツカちゃんがマルシェ担当となり、水源祭りのスタッフに。

わたしはスタッフにはならないけど、ツカちゃんがやるならどうぞ…と(笑)
相手の意志を尊重するのと同じくらい、わたしはわたしの心を尊重しました。

本当に準備の数ヶ月間、いろいろな事があり会議は深夜までなることも度々。

途中からわたしは完全に傍観者になり、その動きを見ていたのだけど。
パートナーなので話は耳にはいり、何度か「ヘルプ」の声があったけれど、本当にわたしの心が「NO」と言い続けました。

6月の後半になってからは、午前様があまりにも多くなり「あぁ、よく話しに聞く忙しいサラリーマンはこんな感じだんだろうなぁ〜」と、期間限定のこの体験を味わおうじゃないか!とワクワク。

いざ、その体験をしてみると出てくる、出てくる!いろんな感情が。

主にネガティブな感情がほとんどなんだけども。

「生活リズムが崩れた!」(イライラ、イライラ…)
…崩された!と感じてること自体が責任転嫁だなぁ。勝手にわたしがそう感じてるだけなのに。
あぁ、まだまだ自分のペースややり方でまわりをコントロールしようとしてるなぁ。
相手の意志を尊重すると言いながらも、相手を束縛しようとしてるこの矛盾よ。

「わたしに子どものこと任せっきりにして!」(イライラ、イライラ…)
…まだこんな感情がわたしに残ってたんだぁ〜(ある意味新鮮☆)
もう手放したと思ってたけど、ちゃんと残ってたんだなぁ。
自分で好んでやってるのにね。適度に手を抜くだけだけの話しだな、こりゃ。
期待してる自分発見。

「全然、コミュニケーションとれないじゃん!」(イライラ、イライラ…)
…あれ?意外と今までと変わらないんじゃないか?
目の前に相手がいないからこんなこと言ってるけど、一緒にいたとしてもわたしは自分の好きなことやってるんじゃないかなぁ。

と、まぁ他にも感情が出てきては沢山の気付きがありました。

今回はなぜだか本当に一線を引いていたわたし。

「夫婦だから」という理由では動きませんでした。
というか、心が動かないので行動に移れないという感じ。
自分の心に嘘をつけなくなり、本当はイライラしているのに「夫婦だから」「家族だから」というそういう肩書の理由で協力することができませんでした。

でもひとつだけ、わたしの心からの行動がありまして。

お弁当を作って届けることはしました。(たった2回だけどね…)

朝から事務所でこもりっきりで仕事をしてる日に、わたしはお友達と子どもたちを連れてピクニックに行く予定だったけど「ツカちゃんと一緒に食べたいな」と思い、そのお弁当を4人で事務所で食べました。
偶然にも父の日だったな!

そして祭りの当日。

連日の睡眠不足やらイベントの責任やらで声カラカラで走り回るツカちゃん。
終わった昨日も深夜にクタクタになって帰ってきました。
その姿をみて思ったこと。

今まで、いかにツカちゃんに対して感謝の気持ちが足りなかったことか。
今まで、どれだけツカちゃんに支えらてきたことか。

この準備期間中は、わたしの感情も爆発を繰り返し、それは子どもにも伝わり
「子どもに負担を掛けたくない」と一番願ったはずなのに結局子どもたちに負担をかけたわたし。
全ては自分の問題だ。

たくさんの気づきがありました。
感情をたくさんぶつけました。
いつも誰かを批判していました。
たくさんのキャラクターの人たちが、わたしの目の前に現れました。
その全ての人が、わたしの中にいるんだな。

「今回はスタッフとしては参加しない」と、形では参加しなかったけれど
おおいに参加しちゃってるなぁ…わたし(笑)

ここ数ヶ月でわたしが発した言葉や感情や行動は、そのままわたしに返ってくる。
目をそむけてフタをして逃げ出したくなるだろうけど、ここはもう腹をくくって責任転嫁せずに受け取ろう。
そこからじゃないと、本当に誰かに感謝したり、愛を持って行動するなんて無理だろうな。

そして、その全てを受け取る勇気が自分にあると信じよう。

まだまだ変化できるんだなぁ!わたし。

ウクレレとわたし

先日、iPhoneが壊れ(…というか壊した?)携帯がガラ系となり。
それにくわえて家のネット環境がツカちゃんの携帯が無いと使えない状況となりました。

近いうちに家でもネット使えるようにしよう!と家族会議していたんだけど。

「今のままで良い」と、昨日の家族会議で決定☆

もうね、心地よいほどシンプルすぎて。

携帯電話はほぼ通話のみ、という本来の役割を果たし始め。
日中は必要以上ネットを見ることが無くなり。
朝にGmailをチェックして、お気に入りのブロクを読んで、Facebookを開く。
夜は自分のHPの更新する。
そんな感じになってきました◎

で、昼間時間がぽっかり空いた瞬間…

「あれっ?何しよう」と一瞬戸惑うわたしを発見。

今までだったら、無意識にPCの前にいてアレコレ時間を潰していたんだろうね(笑)
それはそれで、また良しなんだけど。

わたしはウクレレを手に持つ時間が増えました☆

空き時間を見つけてはウクレレを。

昨日は寝る前のちょっとした時間に弾いてたら、ウサコ&エイトも混ざってきて面白かった。

わたしがコードを押さえて、ウサコとエイトが順番にポロ〜ンと弾く。
「あめのひくまのこ」を3人で演奏。
その後「Let it go」のコード表があったので弾いてみたらウサコとエイトが熱唱。
面白かったなぁ。

そうそう、ウクレレ教室にエイトも連れて行ってた頃。
「絵本読んで〜」「ウクレレ弾かないで〜」と言ってたエイト。
結局、エイトも一緒だとウクレレの練習にならないので入園まで教室はお休み。
家で弾いててもエイトが楽譜を取り上げたり、何かをしてわたしの注意を引こうとする。

そんな感じで、あまり楽しめずにいたウクレレ。

昨日3人で演奏して気づいたこと。

あぁ、エイトもウクレレ弾きたいのか。
ウサコはピアノを習い始めて1年。
エイトも何か始めるのいいかもね。

もうすぐお誕生日だし。
子供用の可愛いウクレレを探すのも素敵だね。

昨日はお友達の家でウクレレ教室。

ウクレレ2014.6.27

晴れた日にピクニックしながらウクレレ弾くのもいいけれど。
雨のウクレレも悪くない。

今年は更にウクレレちゃんと仲良くなれそうな予感。

まだまだ断捨離中

週末、エイトの鼻垂れが咳と変わり微熱を出して夏風邪。
寒かったり暑かったり、気温の変化が激しい最近。

あの食いしん坊のエイトが何も食べずに眠り続けた日曜日。
明けて月曜日は食欲も戻り元気になりましたが様子をみて幼稚園をお休み。

「飛行機の玩具買って」と、自らの誕生日プレゼントを前倒しで選び
「でも、誕生日までは開けないから隠しておいて」と、自らサプライズを企てる。

可愛いなぁ、エイト。

でも幼稚園をお休みした今日。
我慢できずに開けてしまいましたとさ。

いいか、やっと元気になったんだもんね。

ここ最近、アレコレと忙しいツカちゃんは午前様もしばしば。
ほぼ毎日寝不足にて食生活もけっこう乱れている様子。

そんな中、わたしはと言えば。

あぁ、よく話に聞く「毎日仕事で帰りが遅い夫」ってのはこんな感じなんだなぁ〜とか。
そりゃ、夫婦の会話も無くるよなぁ…とか。
今までしたことがない体験が出来てるな!と実感しております。

相手に対して言いたいことや感じることは山ほどあるのだけど、こんな状況でわたしは何を感じるのか…出てくる感情にも発見があり。

イライラしたり、文句を言いたくなったり、怒ってみたり。

その感情の根っこにあるのは「今までの生活リズムが崩れた」というストレス。
まぁ、こんな状況もずっとじゃあるまいし、今だけの期間限定の体験を心から味わおう〜☆と思っていたのに、まだまだ自分には手放すものがたくさんあるんだなぁ…と気づきました。

でもこれって、頭で「ニュートラルであろう、あろう!」と言い聞かせるのは無理があって。
初めのうちは「ツカちゃんは自分の選択でやっているんだし、わたしはそれに左右されずに自分のペースで暮らせばいいんだ」って半ば言い聞かせていたんだけど、沸き起こる感情は実際に目の前に存在しています。

週末にエイトが体調崩したのも、わたしの中にあるそういうものが出たんだろうな。

エイトの手当てをしながら、元気なウサコの相手ができなかったり。
「あぁ、でも母子家庭で子どもを育てている人は、やっているんだ」と誰かと自分を比較してみたり。
で、わたしの積り積もったイライラは子どもがちゃんと具現化してくれて、ウサコやエイトのご機嫌ななめになる。

頭では分かっていたこと。
何度も体験したはずのこと。

まだまだ理解していなかったんですね。

昨日もツカちゃんに「前にちゃんと言ったのに、聞いてない。最近ずっと心ここに有らずだよ!」と言葉をぶつけたけれど自分もそうなんだろうなぁ…とふと思う。

イライラの原因は「生活リズムが乱れた」こともあるけれど、もっと紐解いて深く潜ってみたらそこにはわたしの問題があった。

ジャッジしてばかりの自分。
だから文句ばかりが頭の中をグルグルしていて、問題を生み出していた。
誰かの言動を批判する。
誰かの考え方にひと言、物言いたくなる。

感情を揺さぶられる、その「誰か」こそが何を隠そう自分自身の見たくない部分を写してくれているんだな。
簡単に関係を切り離して見ない振りをするのは簡単だけど、それじゃ前に進まない。

もっともっと掘り下げてゆこう。
手放すものを見つけるチャンスを与えてくれたなぁ…と思えて、この今の状況にもちょっと感謝できるような気がする夏至の明け。

また新たに始まりつつある流れ。
いい波に乗ってゆこ〜☆

旅立ちのとき

先日、わたしの絵を観て涙を流して下さった方がいました。
絵と言ってもポートフォリオなので印刷物だったのだけど、そこに添えた言葉と共に綺麗な涙をみました。
その絵はかなり昔の絵で、10年前くらいになるのかな?

忘れもしない、わたしが羊ばかりを描いていた頃の絵です。
そうそう、わたしには羊時代がありまして。
いま思えば人生のステージが劇的に変化した年です。

持っていた(と思い込んでいた)肩書をすべて一気に失って、何者でもない「自分」にリセットされた時。
何故かは分からないのだけど図書館へ行き、羊の絵をたくさんスケッチした。
そして気付けば、羊の絵を描いては洋楽の歌詞を書き込んでいたわたし。

まぁ、この辺の羊時代はいつか話すとして。

「終わりのはじまり」というタイトルのその絵は、当時のわたしの悲しみや淋しさといった、いわゆる「ネガティブ」な感情が一番現れています。
(もちろん無意識だけどね。)
当時、ずっと側でわたしの状態を見ていた母がそう言いました。

「この絵は1番、悲しい感じがする」

泣いたり、叫んだり、怒ったり、お酒飲んだり、笑ったり、歌ったり。
そんな風に感情を出し切っていたわたしは、解放の手段として絵にも出してたんだなぁ〜と今では分かる。

とても個人的な絵で、誰かが見てもハッピーにはならないだろう…と思ってポストカードにもしなかったし、まして額に入れて飾ることもなかった。

でも絵にタイトルをつける、いわゆる最後の命を吹き込む瞬間には、わたしはとても清々しい気持ちだったのを覚えている。

誰かと別れる時。
慣れ親しんだ場所を旅立つ時。
終わりを告げて去ろうとする時。

本当に胸が引き裂かれる。
戻らない過去に、戻れたらどんなに良いだろうと思う。

でもタイトルを付けようと絵と向き合った時に「あっ、でも始まりなんだ!」と気づいて、何とも言えない幸せを感じた。
ワクワクして心が踊る感じ。

言葉では分かっていた。
頭では分かっていた。

終わりが始まりだってこと。

今までにも、たくさんの人がわたしにそう言った。

分かっちゃいるけど、別れや終わりの瞬間は胸が張り裂けるんだ。
引き裂かれてギュッとなって涙が溢れるんだ。
ピンチはチャンスと言われても、ピンチの時はハラハラするんだ。

当時のわたしは、本当に恥ずかしい程に引き裂かれる感情を味わい尽くした。

昇る朝日に「馬鹿野郎〜!」と叫んでみたり、人通りの多い商店街を地団駄踏んで歩いたり。
昼間からワインを空けて泣き叫んでみたり。

…こう書いてみると笑っちゃうなぁ〜。まるでドラマの主演女優気どり☆

そして、あらゆる手段で感情を出し切ったわたしが、最後に気づいたのがこれ。

「終わりのはじまり」

終わりの瞬間は寂しい気持ちになっても
それが始まりだと分かった瞬間に
目の前が明るくなって
何も怖いものはなくなってしまった。

image

わたしがパワーを得た瞬間。

そんな一枚の絵が、10年経ってまたわたしにパワーをくれた。
本当にありがたい。

大切に大切に押入れの中にしまい込んでいた我が子は
10年の時を超えて再び陽の光を浴びました。

今度は海を越えて、本当に新天地へ向かう我が子。
絵を手放すときは、愛娘をお嫁に出すような気分なのだけど
そこには引き裂かれるような別れはなく
心地よい風の吹く、旅立ちのような気分。

まだ絵を描くことを好きでいてくれる自分にさえも、ありがとうと伝えたくなる。

悲しく、寂しい一枚だと思っていたこの絵に、希望の光を観てくれた彼女の感性にも感謝の気持ちでいっぱいになる。
こうして絵に新たな命が吹き込まれてゆくんだなぁ…と実感すると「宇宙には無機質なものは無い」という言葉が体験として理解してゆける。

物にも、わたしと変わらない同じ命が存在していると感じることができた最近。

ここまでくるのに、何十年もかかったけどね(笑)
それもまた良し。