愛について

桜も咲き始めましたね。
真っ黄色の菜の花と、水色の空と、桃色の桜。
この色の組み合わせがとても大好きです。

さて、今日は「愛について」書こうと思います。

つい先日。
わたしはとある好奇心から、あることをしました。

まずはFacebookの自分の基本情報から
誕生日を非公開に設定したのです。

3月23日はわたしの誕生日。
年女のわたしにとっては、いつもよりも記念に思う誕生日でした。

それを本当に、数日前に思いついたように非公開にしてみたんです。
すると(Facebookって本当にすごい〜!)タイムラインにその情報は一切現れないんです。

毎年、Facebookからお誕生日のお祝いメッセージを頂くんですね。
(Facebookを使っている方はご存知と思いますが・・・)
誕生日を公開にしていると、繋がっている人のタイムラインに
「今日は◯◯さんの誕生日です」とお知らせが表示されます。
それを見て、「おめでとう〜」とかメッセージを送ってお祝いするんですね。
あえてそれを外すことで、わたしは何を感じるか・・・ちょっと知りたくなった訳です(笑)

で、もちろん家族にも特に「誕生日」のことを触れずにいたんです。
果たして、覚えているだろうか〜?と起こる現象をただ見ていました。
その時わたしは何を感じるだろうか・・・?

結果発表。

誕生日当日の3月23日。
タイから戻って来たばかりで、パートナー・ツカちゃんは仕事がたくさんあったので
1日中、事務所で仕事をすることになりました。

わたしは、買いに行くものがあったので子どもたちを連れて街までお出かけ。
ツカちゃんも子どもたちも気づく気配が全く無く、わたしの気分は緩やかに下ってゆきました(笑)

(あぁ、やっぱり寂しいと感じるんだな〜わたし・・・)
(自分をご機嫌にできるのは自分だ〜。わたしが大いにわたしを祝おう!)

そう思って買い物を済ませると、お気に入りのカフェで美味しいランチを食べることに。
チョコタルトを4つ買って帰り、ツカちゃんと一緒に食べながら
そこでも、面白いことに小さな「期待」があるんですね(笑)

(さすがにケーキを見たら、ツカちゃんも気づくかなぁ〜)

期待はことごとく裏切られ(笑)夜になり、ご飯を食べて就寝・・・。

まぁ、わたしが望んでそうした訳で、望みは望み通りに叶えられた1日でした。

その夜は、珍しくわたしもツカちゃんも起きていていろんな話をしたんですね。
わたしが最近感じている「自分の心に正直である」というスタンス。
それについてのツカちゃんの考えなど。

いろんな会話をしたあとに、時計を見ると針は12を過ぎたところ。

「そういえば、昨日って何の日か知ってる?」とやっと話題に触れたわたし。
しばらく考えたあとに、ツカちゃんは驚いたように
「・・・あぁぁー!!!」と叫んだと思いきや、とてもとても怒ったんです。

23日はわたしの誕生日で、前日の22日は結婚記念日でした。

毎年、結婚記念日には記念の何かを買っていて(まな板とか、圧力鍋とか、日常的なもので長く使うものをね)
セットとしてわたしの誕生日も何かしていたんです。

その日に間に合うようにタイから帰ってきたのに、忘れていた。
それにとても罪悪感を抱いたツカちゃんは、知っていて黙っていたわたしに怒ったんです。

「自分のスタンスも分かるけど、そのことがどれだけ今、僕を傷つけたか分かる?」

そうなんです。

わたしは、わたしの好奇心(誕生日を祝ってもらえないと、どんな気持ちになるかな〜)のために
このことを意図して、願って、そういう現象を創りだして体感したんです。

だから、その現象を創るにあたって周りの存在が協力して参加してくれたのです。
特にパートナーのツカちゃんには、大切な結婚記念日もセットで忘れてもらう必要もあった訳です。
わたしの好奇心と体感のために、それをしてくれた存在。
そこにわたしは大きな感謝を感じました。

その現象を体験してみて、やはり「寂しい」とわたしは感じたし、
誕生日を覚えていてくれる存在がいたことにも驚きの発見があったし、
忘れていたことに罪悪感を抱くツカちゃんの姿を見ることができたし、
「罪悪感を抱く」という役を担ってくれたツカちゃんに大きな愛を感じたし。

そんな感じで、なんとも表現できない涙が溢れたのです。

宇宙って、こんな感じの好奇心で始まっているんじゃないかな・・・と感じます。

「怒る」ってどんな感じなんだろう?
「許す」ってどんな感じなんだろう?
「楽しい」ってどんな感じなんだろう?

それを体験するためには、それに参加してくれる存在が必要です。

「怒る」ためには、「怒られる」存在が。
「許す」ためには、「許される」存在が。
「楽しい」には、「楽しませる」存在が。

その時に、自分が何を感じるかは、本当に未知の体験なんですね。
それを知りたい!と願ったわたしのために
罪悪感も承知で引き受けてくれたわたしのパートナー。

本当に凄いと思いませんか?
大きな愛を感じずにはいられません。

めったに怒らないツカちゃんが怒るほどに
記念日は大切な日だった訳です。

「怒り」にも愛のエネルギーが存在しているということです。

どんな感情も、同じ「愛」のエネルギーであるということは
頭では何となく理解しているつもりでした。
それを体感として「やっぱり、同じ愛のエネルギーだった」ということが分かったような気がします。

小さな期待をツカちゃんに、ちょいちょい寄せていた自分にも
やっぱり祝って欲しいと思っていたんだな〜と可愛らしく思えます(笑)

だってね、「祝ってもらえない」を体験したいと願ってるはずなのに
「今日はツカちゃんのパスタが食べたい」と言い張ってみたり
わざわざケーキを買って帰ってみたり・・・(笑)

どこまでも、あまのじゃく!

言葉や目に見える現象だけに囚われていると
この根っこにある愛のエネルギーには気づきにくいです。
別に気づいていなくても同じ愛のエネルギーは変わらずに存在しるので
だから、気づいていても気づいていなくてもどっちでも良いんですね。

でもこの根っこにある「愛のエネルギー」は大きすぎて
言葉に表現できない不思議な感覚がします。

まわり全てに感謝しかないような、日向ぼっこのお日様のような
大きくて優しいエネルギーに感じました。

「今度から、そんなゲームしないでちゃんと「祝って〜!」と言ってね・・・」とツカちゃんに言われました(笑)
あはは〜!そうだね、思い通りに体感したので次からはちゃんと素直にお祝いしてもらうようにします☆

わたしが最近、夢中になっていた「どこまでも自分を信じる(愛する)」ゲーム。
これを、本当にとことん楽しんだお陰さま。
次なるゲームがはじまり、はじまり〜。

これはきっと「愛について」がテーマになると感じています◎

体感が伴うまで、しばしお待ちを〜。

長文、お付き合いどうもありがとうございます☆

自分に正直であること

最近、頻繁にブログを更新しては
自分の体感を完結する作業を楽しんでいるわたしです。

すっかり作品(絵)の方をアップしてないですね!

もうすぐ制作スイッチが入ると思うので、お待ちくださいね☆

さて、体感を文章にして表明している訳ですが
最近は不思議なことがあって
タイミングでない記事はアップ出来ないようになってきました。

保存ができなかったり、エラーになったり、記事自体が消えちゃったり・・・。

先ほども、体験したばかりのことを感覚が新鮮なうちに〜と思って書き上げて
いざアップしようとしたら、記事が消えてしまいました(笑)
面白いね・・・!

で、せっかくだから保留になってた以前の記事をアップしてみようと思います。
これ2月25日に書いているので約1ヶ月前の記事ですね。

その時は、何が理由か忘れちゃったけどアップされなかったんです。
さて、今日はどうだろうな〜(笑)

どうぞ、お時間ある方は読んでみてくださいね。
尻切れトンボみたいになってますが、試しに2月25日のままにアップしまーす。

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自分に正直であることは
なによりも勇気がいることですね!

ある時、わたしは自分に正直になると心に誓い
それを出来る限り実行しました。

そうしたら、いつのまにか嘘がつけなくなりましたとさ…(笑)

ちょっとでも嘘をつこうものなら
(カッコつけたり、社交辞令を言おうとしたり)
言葉が薄っぺらくなるのがハッキリとわかり
それが相手にも伝わっているのを肌で感じてしまうのです。

誰かに迷惑がかからないかなぁ…
というのは、つまるところ
迷惑をかけるであろう「誰か」を想っての思考ではなくて
あの子は困った人だなぁ…と「自分」が思われるのが嫌なだけです。

そうそう、「自分」を想っての思考です。

それに、自分は「迷惑をかけた」と思った言動が
予想外に誰かを救ったかもしれません。

逆もありきで、自分が良かれと思った言動が
誰かをコテンパに傷つけたかも知れません。

それが迷惑なのか、目からウロコなのかは
100%受け取る側の問題です。
問題というか、自由な選択です。

発信する自分にはどうすることもできなくて
むしろ、どうにか出来ると思い込んでいるのなら
それは相手の自由意志を奪うことで
結局、大迷惑じゃん…となる訳です(笑)

本当に、誰一人、何ひとつ傷つけたくないならば
もう、黙って石になるしか無いです。

いやいやいや、石だとしても
そこら辺に転がってたら誰かの邪魔になる可能性もあるので
こうなったら「存在しない」しか方法が無いですね(笑)

それでも嬉しい事に、この世界に存在できるのだから
「存在する」ためには、やっぱり自分に正直になることをオススメします☆

「相手を説得させたい」
「相手に良く思われたい」
「相手を傷つけたい」
…など、言動に少しでも「相手」が入り込んだら
本当は思っていないことを言ったり、行動したりしてしまいます。

そうなると、さっきの説明のように
言葉が薄っぺらくなり、相手にもバレバレで
居ても立ってもいられないくらい恥ずかしくなります(笑)

もちろん、そういう時もありますよ〜。

そんな時は、穴があったら入りたくなるような恥ずかしい感覚を味わって
(そうそう、抵抗しないのがポイントです☆)
「わたし、今カッコつけたなぁ♡」とそんな自分にもオッケーを出します。

そのうち、嘘がつけない体質になるはずです。

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(↑ここまでが以前書いた記事)

実はこれと似たような内容を書いていたのですが
ちょっと自分を正当化するようなエッセンスが入っていたなぁ〜と思い当たりました(笑)

さんざん、穴があったら入りたくなる体験をしたわたしは
もうそれすら「お腹いっぱい〜!!」となったのかも知れませんね◎

1ヶ月でも随分と変化があるもんですね。

読んで下さり、ありがとうございます☆

言葉について

「言霊」という言葉がありますね。
この言葉を聞いて、何を感じますか?

以前のわたしは少し怖いイメージがありました。

恐らく、この言葉に出会った時のわたしの状態も関係していると思います。
感情をコントロールできずに、イライラを容易く言葉にして吐き出していた頃です。

(あっ、もちろん今でもそんな時はありますよ〜!)

そして言葉には「言霊」というのがあるから、自分の口から出てくる言葉には気をつけるように。
確かそんな感じでこの言葉に出会ったと思います。

感情をコントロールできない自分にダメ出しをとことんしていた時期なので(笑)
言霊は、ある意味「脅威」に近いものがありました。
だから怖かったんでしょうね。

「気をつけよう、気をつけよう」と繰り返し言い聞かせてたのは、根本に恐怖があったからです。
ネガティブな言葉は使ってはいけない。
ポジティブな言葉を使おう。

そうそう、話がちょっと変わりますが、斉藤ひとりさんという方がいて
わたしも大好きなんですね、斉藤ひとりさんの本や言葉。
(最近は本も読まなくなってしまいましたが・・・)

で、ひとりさんの「千回の法則」というのがあるんです。
千という数には魔法があって、何でも「千」という数を超えると奇跡が起こる・・・確かそんな感じの内容だったと思います。

「ありがとう」を毎日繰り返し呟いて、千回を超えた時に変化が起こる。
とにかく、騙されたと思って毎日念仏のように唱えるんですね。百回ではなく、千回まで。

こういう話は他の方もしていると思いますが、どんなことにも「ありがとう」とまず、言ってみる。
言っているうちに、本当に現象が「ありがとう」になる・・・という訳です。

これは、わたしにとっては「言霊」と似ている部分がありまして。
まずは言葉ありき。思いは後から付いてゆく感じです。

わたしも試してみた訳です「ありがとう」を繰り返すことを。
でもやはり、続かないというか、わたしにしっくり来ませんでした。

前にも書きましたが、いろんなタイプがいます。

ひとりさんの進める方法がしっくり来るタイプもいます。
だから、「このやり方は正しい」とか「間違ってる」というのは本来ないんですね。
わたしは、このタイプじゃなかっただけの話です(笑)

しばらくは続いて、あぁ、なんだか効果がある気がする〜♪と感じても
やっぱり「気がする」だけなんですね・・・。

心と言動が伴っていない違和感を抱かざる負えないんです。

それと、もうひとつ。
わたしが大好きな言葉があって、それはハワイに使わる「ホ・オ・ポノポノ」の4つの言葉です。

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許してください」
「愛してます」

この言葉は、わたしにとって不思議な存在で思考が働くより先に、自然に出てきちゃうんです。
「よし、言おう」と思う前に、勝手に頭に浮かんでいたり、言葉として口から出てくるんですね。

この4つの言葉にも、使われる意味があるので興味がある方は本などで調べてみてくださいね。
その意味はさて置き、わたしは気づいたらこの言葉を発しています。
きっと大好きなんでしょうね。

さてさて。

ここまで話を聞いて、何を感じますか?

脅威さえ感じていた「言霊」という言葉(それに付随する概念)
ひとりさんの「千回のありがとう」
ホ・オ・ポノポノの4つの言葉。

実はどれもやっているこは、ぜ~んぶ同じです(笑)

わたしの出会い方や概念によって、いろいろな形にみえますが、どれも全く同じことをやってます。
わたしが勝手に好みで自分のタイプを発見していますが(笑)同じことをやっています。

形を変えて、わたしの前に現象として現れてますね!

「わたしには、これがしっくりくる」と思っていたホ・オ・ポノポノ。
だって自然に言葉が浮かんでくるんだもん。
不思議な力があるように感じるもん。

・・・と思い込んで採用していましたが(笑)やっぱり訪れたわけです。
違和感というやつが(笑!)

「ごめんなさい」「許してください」
このふたつの言葉を発する自分に違和感を抱いたのです。

何もわざわざネガティブな言葉を発することは無いよなぁ〜と。
それでしばらくの間は、「ありがとう」だけを発していました。

・・・ほらほらほら〜!ひとりさんの「千回のありがとう」になってるじゃん(笑)
そして「ネガティブな言葉を排除する」って、言霊じゃん(笑)

この体験で、やっとわたしは「波動」というものに気づくんですね。

あぁ、言葉のフレーズじゃなくて、どんな波動を乗せて発するかが大切なんだ!
わたしが知りたい真理は、それでした。

まず、「ごめんなさい」「許してください」という言葉をネガティブと判断する自分に気づいたんです。
さらには「ネガティブはダメな事」と判断する自分も同時に存在していました。

その判断すること(ジャッジすること)自体がナンセンスだ・・・と感じたのです。

「ごめんなさい」「許してください」には「ありがとう」「愛してます」も含まれています。
「ありがとう」「愛してます」にも「ごめんなさい」「許してください」が含まれています。
それを有り有りと見せつけられた体験でした。

発した波動で体験が決まる。
どんな言葉を使うかは二の次。

思い(波動)が言葉をいかようにも変化させる。
もう、嘘は付けない世界になっています(わたしの世界♡)
薄っぺらい言葉は、薄っぺらい波動を乗せて、薄っぺらく伝わります。
それをあえて楽しむも良いけれど、わたしはテレパシーの世界を楽しんでみたいので
どこまでもオープンでありたいと願っています。

「発した波動で体験が決まる」については、最近面白い体験があったので近々書きますね。

自分が体感したこと、感じることしか発することができなくなりました。
これもまた、わたしが望んでそうしている訳ですが・・・(笑)

なので、違和感を抱く方もいると思いますが、わたしの世界で採用しているメル論です。
日々、いろんな記事を書くのですが、体感が伴っていないものや、余計な思考が入り込んでいるものは
自然とアップされないようになっています。

時間切れになって保存になったり、上手くアップできなかったり。

面白いね(笑)

ちゃんと文章の方が、タイミングを知っているようです。
そして、タイミングの合う人にしか出会わないようにも感じます。

もちろん、違和感を抱くことは何ら悪いことではないですからね!
「何かを感じている」それこそが、素晴らしいことだと感じています。

だって、わたしも違和感がきっかけとなり、いろんな体感ができている訳です。
違和感という定義も曖昧ですね(笑)

まぁ、何か心に引っかかるものがあるというのは、素晴らしいことです。
それがなければ、世界は無限に広がることが難しいですからね。

長い文章、お付き合いありがとうございました◎

次元について

わたしがこの言葉を自然に使うようになったのは
きっと数年前からだと思います。

それまでは、耳にしたことがあったにせよ
ピンと来ないというか、「・・・へぇ〜」という感じです(笑)

何となく使っているこの「次元」という言葉。
深〜く考えたことがないので、ちょっと考えてみようと思います◎

わたしが認識しているのは「3次元」「4次元」です。

いろんな意見があると思いますが、メル論ですのでご了承くださいね☆

わたしは「3次元」は、肉体があってこそ体験できる世界です。
だから、食べること、触ること、唄うこと、踊ること、抱きしめて肌を触れ合うこと
これらのことは3次元でこそ、その体験が生きると感じています。
感情を肉体を通して体感できる世界。

イライラして血が上る感じ。
嬉しくて飛び跳ねたくなく感じ。
楽しくて全身に笑いの渦が巻き起こる感じ。
肉体がある=行動できる

この世界ですね。

そして「4次元」は肉体を離れた体験です。
わたしの場合は「夢の世界」と認識している部分です。
ここでも感情や思考は働いていますが、この「肉体」を通してではないので
「3次元」の体験とは別のものだと認識してます。

それ以外の次元は、今のところ体感として・・・分かりません(笑)

でもね、面白いことが先日ありまして。

去年の夏に「シータヒーリング」の基礎コースを受講したんです。
シータヒーリングでは、次元を7次元まで定義していて
それぞれにちゃんと説明があるんですね。

で、7次元というのが創造の源(創造主)の次元で、そこまで意識を上昇させてヒーリングを行います。
(シータヒーリングについては、またの機会に書きますね。)

半年ぶりにお会いしたシータヒーリングの先生が、7層まで上がれるかを観てくれたんですね。
教わった手順を経て7層まで意識を上昇させると
「うん。ちゃんと7層まで行けてるね。じゃあ、適当に戻ってきて〜」と指示があり
わたしは、ひゅ~んと意識をここへ戻した訳です。

目を開けると、先生はまだ目を閉じたままなんです。
それでまたわたしも目を閉じて、しばらくして目を開けると
先生はまだ閉じている・・・。

そんな感じで、ずっと待っていると先生がやっと目を開いて
「基礎通りに丁寧に手順を踏んで上昇してるね(笑)しっかり7層まで行けてるよ。」
「それにしても、メルちゃん戻ってくるのに、どうしてこんなに時間かかったの?」

それを聞いて、わたしは「えっ?」と思ったんですね。
わたしはすっかり、ここに戻って来てたんです。
先生の方がなかなか戻ってこなくて「遅いなぁ〜」なんて感じてた訳です(笑)

もしかして、わたしが3次元(ここ)と感じている世界は
7次元(シータヒーリングで表現するところの)と何ら変わりはないのでは?
という考えが浮かびました。

すでに、ここが創造主の世界なのかも〜☆と思うと、なんだか楽しくなった訳です。

わたしはいつでも、宇宙からのエネルギーを貰ってる!
でね、以前の記事にも記しましたが、自分の世界は自分が「そうだ!」と決めたことは「そう」なんですね。
わたしの世界では♡

どこまでも自分の世界をクリエイティブしたいと願うわたしは
わたしを100%信頼して、そのわたしが採用することは全てわたしの世界に存在すると決めた訳です。

そして、わたしは「自分が体感したことのみが、わたしの世界の真理」と決めたので、体感をとても大切にしています。
体感というのは、その瞬間に自分が感じていることです。
「思う」のではなく「感じる」ことです。

その「感じる」ことも、その時々でいかようにも変容します。

同じように感じる現象も、同じでないように、同じ体験は二度と出来ないのです。

だからこそ、その瞬間ごとの体感が貴重な体験なんですね。

「答えはひとつじゃない。」

このことは、以前のわたしには違った意味を含んでいました。

たったひとつの答え(真理)を求めていたわたしは「答えはひとつじゃない」と知った時、とてもガッカリしたんです。

だって、求めているゴールがあると思って走ってた訳ですからね。
えぇ~!このマラソン・・・ゴールがないの?!聞いてないよぉー!
・・・そんな感じでした(笑)

でも今は同じこの言葉に、むしろホッとするんですね。

どこまでも無限の可能性を持っていること。
それをどんどん体験(体感)できる自分。
固定するものなんて、何ひとつ存在しない。

外側に答えを求めていないからです。
「答えはひとつじゃない」ということを体感とともに、自分の世界に採用したんです。
だから、他の人の宇宙を聞くことも楽しめるようになりました。

わたしには体験、体感できない世界をジャンジャン創造してくれる存在にもワクワクします。
わたしは、こっちをジャンジャン創造してゆくから、そっちはヨロシク〜♪という感じです。

さてさて、話を次元に戻します。

わたしの見解では、ひとりの人(存在)の中に全ての次元(と言われるもの)が存在しています。
人だけでは無いですね、存在するもの全てです。

右と左の境界線が曖昧なのと同じようにその次元の境界線も曖昧だと感じます。

海岸で海を見た時、空と海との間にハッキリと1本の線が見えるように
遠くからはその境界線を認識することができます。

その1本の線に向かって海に潜って泳いでいくと、どこまでいってもゴールは見つかりません。
その時、海に浮かんでいるわたしは感じるのです。

あぁ、ここに全て存在しているんだなぁ〜♡

まだまだ、3次元、4次元とその境界線が存在している時点で
わたしの世界は海岸から自分の世界を眺めていますね(笑)

でも時々、その境界線を失って全ての中に存在している瞬間もある訳です。
今はこの感じが楽しいみたいです・・・わたし。
だから、時には海岸へ立って外側から境界線を見てみたりして楽しんでもいる模様(笑)

いろんな情報や、いろんなジャンルがあるけれど
自分に興味のないもの(ピンとこないもの)は、存在できませんからね・・・自分の世界には。
以前は、そこで頑張って勉強したり学んだりしていましたが
それも、もはや出来ない世界になってしまった訳です、わたしの世界。

そうなるともう、自分にはない世界を楽しんでいる存在を、ありのままに受け入れることができます◎

うーん・・・やっぱり次元の話から逸れちゃうなぁ(笑)

わたしは文章にして表明することで完結して、どこまでも自分の世界を創造されてゆくのを感じるので
やっぱり書いちゃいます。

境界線のない世界。
あっち側もこっち側もない世界。
この世界を創造したいんだなぁ・・・わたし。

まだ次元という境界線を感じているわたし。
まだまだ広がってゆけるんだなぁー!と思うとやはりワクワクしますね☆

長文、読んで下さりありがとうございます◎

夢について(5)

お久しぶりです。

なんと、夢についてシリーズ・・・まさかの(5)です☆

完結して、次のテーマへ気持ちは移行しているのですが
まだまだ未知な世界なんだなぁ〜
何処までも広がって行きたいんだなぁ〜
という感じが、わたしに面白い夢を見させてくれます◎

今日は、つい先日見た夢のお話です。

実は、わたしがテーマにしている『お金』に関わるお話です。
(早く、こちらをジャンジャン体感して文章で表明して完結したい♡)

夢の中で、わたしは超大型トラックを運転しているんです。
ビュンビュン高速を飛ばして走っている訳ではなく
イメージとしては、普段乗っている自動車感覚で街を走ってるんですね。
いつもと変わらずお買い物をしに、街まで出かける・・・それを大型トラックでやっている感じです(笑)

それで、軽い衝突事故を起こすのです。
前に止まった車のお尻に、かる~く「コツン・・・」とぶつかっちゃう程度の事故です。

わたしは「あぁ~、やっちゃった・・・」という感じで運転席から降りて相手のオジサンと話しをします。

オジサンの車は、明らかにへこんでいて、わたしが修理代を払うことになり
その交渉を始めるんですね。

ちなみに、オジサンは怒ってもいなくて実に穏やかに交渉をする訳ですが
警察を呼ぶとか、自動車保険を利用するとか・・・そういう概念はこの夢の中ではまったくの皆無。

わたし(以下・メル)
 「修理代を弁償するから、何社か見積もりを取って、一番安いところで修理してくださね。」
 「修理が終わって、領収書を貰ったら、その金額をわたしが払いますから。」

オジサン(以下・オジ)
 「見積もりを取るのは良いんだけど、お金がないから立替えるのは出来ないな。」
 「見積もりの時点で、お金を払ってくれないかな・・・」

メル 
 「いやいやいや、領収書がなければ支払いたくない。」

オジ
 「だけど、本当に手持ちのお金がないんだよね。」

こんなやりとりをしばらく続けるのです。

この時点で、わたしの中にあるものは・・・
「相手に騙されるんじゃないだろうか?」
「損をしたくない」
「安く済むことがベストだ」
という、お金に対する概念です。

わたしとオジサンの交渉が平行線でしばらく続いたのち・・・

メル
 「・・・よし!分かった!オジサンを信用する!見積もりの時点で払うよ!」
 「わたし、オジサンを信用するからね!」

そう言って、ポケットから紙切れを取り出して何やら数字を書く訳です。
既に見積金額は提示されてることになっていて
どうやらその金額を紙切れに書いたみたいなんですね。

この夢の世界では、その人が紙に金額を書いたら、それがその人のお金になる・・・そういうルールでした。
もうね、レシートの裏みたいな紙切れに金額を書くんです(笑)

そして、その紙切れ(笑)を手渡しながら何度もわたしは
「わたし、オジサンを信用するからね!」と繰り返すのです。

ここで面白かったのが、そのセリフを言いながら、もう一人のわたしが
「これは、ゲームだから。」と言っているのです。

そう、そう・・・そうだ!
これはゲームだ〜!
買い物に大型トラックで向かう時点でゲームですよね・・・(笑)

わたしがオジサンへ「信頼」というエネルギーを渡して
オジサンは修理工場の人へ、そのエネルギーを渡す。
修理工場の人は修理をすることで、そのエネルギーをオジサンに渡す。
無事に修理された車に乗ることで、オジサンは再びそのエネルギーを受け取って
その姿を見ることで、再びわたしはそのエネルギーを受け取る訳です。

あれ?お金は代償じゃないんだぁ〜!
これは、とてつもなく大きな発見でした☆

だって・・・お金って言ったって、この世界ではポケットの紙切れに数字を書くだけだしね(笑)
そこに労働とか時間とかは、ほぼゼロと言っても過言じゃない。

それでね、このことを深〜く観察していると
またまた思考がやってくるんですね(笑)

でも、やっぱり修理するには材料費とか時間が掛かっている訳だから
実際に「お金がかかっている」じゃないか。
それは無視しても構わないのかい?

そう言ってくるわけです、わたしの思考は。
この部分。この部分で引っかかる人は多くいると思います。
わたしも、まだこの部分では体感としての理解がまだやってこないので
説明しようとすると、ただの説明というか言い訳になるんですね・・・。

でも、今感じることで言うなれば「全てはゲームだ」という事です。

この3次元で行われている「お金」を使ったゲーム。
何かの固定概念が、全体のルールとして
「実際に経費はかかっている」という思い込みをさせているんじゃないかな〜と感じてます。

あぁ~、早くここんとこをクリアしてみたいな♡

ちょっと、夢の話から逸れちゃったけれど「お金について」もぜひ書いてみたいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます☆

100%の信頼

どんなことも(もう、ハッキリと言い切っちゃいます!)
あらゆることは全て、自分で創っている世界です。

このことが、知識で無くちゃんと腹まで落ちて体感できるようになりました☆

・・・というのは、特別な能力でも何でもありませーん。

誰でも、簡単に、今すぐに出来てしまうことです。
自分で「そうだ」と決めてしまえば、それが自分の世界での真実です。

だって、世界は謎だらけだと思いませんか??

いままで常識と思い込んでいたことが、あっさり覆られることなんて
今の時代となっちゃ、アレコレ出てきています。

超謎だらけで神秘に包まれたこの世界を外からの情報だけで判断するなんて・・・
こっちの方がむしろ難しい(笑)

例えば、「寒い」「暑い」は完全に人それぞれに感じ方は違います。
10人いて、9人が「寒い」と感じたからと言って
10人目の自分が絶対に「寒い」と感じなくちゃいけないなんて・・・
そんな理屈はありませんね。

もしこの時に外からの情報を元に
「みんな、寒い?・・・うん、そういえば、昨日よりは寒いかも?
そうだ、寒いかもしれない・・・やっぱり、寒い!」
という思考が働いて「寒い」と表現するとします。

はたまた
皮膚の表面がくっきりと境界線を描くように風や空気を感じて、
隙間風が吹きこむようにゾクゾクする何かが体中を駆け巡るような体感があって
それを「寒い」と表現するとします。

同じ「寒い」ですが、中身は全く違います。

本当は、昨日と比べる必要なんてなく、ただ今、「わたし」がどう感じているかを
ありのままに感じるだけで良いはずなのに、温度計の数字とか、天気予報の情報とか
沢山の外からの情報の影響を受けて、それを信用してゆきます。

別にいいじゃん〜、生死に関わることじゃなんだから、このくらい外の情報に影響されたって。
結局、どっちも「寒い」なんでしょ?
・・・と思うでしょ(笑)

いやいやいや、このくらい些細なことが実は超大切だとわたしは感じています。

「自分がどれだけ「わたし」を信じているか(愛しているか)」は、このくらい些細なことから既に始まっています。

どんな些細なことであっても、誰かに自分を100%信頼してもらったら嬉しいように
自分自身も、自分に100%信頼してもらったら喜ぶのです☆

ここで、あえて100%と断言しますね。
そう、99%じゃないんです、100%ですよー。

1%でも「・・・でも、もしかしたら」なんて疑う気持ちが入っていたら
わたしの場合「わたし」は喜びません(笑)

何%の信頼か、ではなく「信じてるか」「信じていないか」のどちらかなんです。
しがたって「自分を信じる」は100%以外のなにものでもない訳です。

そうなると、面白いことに「寒い」と感じている「わたし」の感覚を味わう時(その感覚を信じる時)
「寒い」と感じている自分に感動してしまいます。

「寒い」と感じている「わたし」に気づけている「自分」って凄〜い!!
「寒い」と感じている「わたし」を体感している「自分」って凄〜い!!

そして、わたしはわたしに乾杯〜♪をしたくなるのです。
・・・どこまでもオメデタイ感じですね(笑)

ここを一度でも体感すると、もうあらゆることは「乾杯〜♪」体験に変わってゆきます。

「悲しい」と感じているわたし、乾杯〜♪
感情的になっているわたし、乾杯〜♪
「うれしい」と感じているわたし、乾杯〜♪

あえて「わたし」と「自分」と言葉を使い分けていますが、
本来は「わたし=自分」で、同じ存在です。
誰かが誰かを・・・という意味ではなく、こう表現した方が伝わりやすい気がしたので
あえて「わたし」「自分」と書いています。

で、この「100%信頼する」
50%でも99%でもなく、「100%」の自分への信頼。

信頼関係が築きあげられると、「わたし」は安心して本当にやりたいこと、
このタイミングのこの地球でやりたいことを思い切りやり始めます。

子どもも、そうですよね。

「100%信頼されている」と子どもが心から感じていたら
その子は100%の力を発揮して、生を満喫します。

「100%の大丈夫」があるからこそ、思う存分に遊べるのです。

だから、先ほどの例「寒いと感じるか」「暑いと感じるか」という一見些細なことに思えるような事が
超大切だとわたしは感じます。

自分自身への信頼。
どれだけ自分を信頼できるか(愛せるか)

この信頼関係をどんどん強めてゆくと
外の情報に振り回されずに済みます。

自分の声がハッキリ感じることができるようになるので、どんなに外野がアレコレ言ってきても
「へぇ~」っていう感じにしかならないのです(笑)

例えばね、「日本も、もしかしたら戦争をする日が来るかもしれない」とか。
本気で心配している人がいるとします。
その心配のために、その人は今できることをしようと行動を起こします。
反対運動をしたり、誰かに話して自分たちの正義を証明しようとしたり。

これは自ら進んで「戦争」を自分の世界に採用している行動です。

わたしは「戦争」を、わたしの世界には存在しない!と自分で表明したので
わたしの世界では「戦争」は起きません。

この表明には、先ほどの一見些細なことに感じられる「自分の感覚を100%信頼する」という作業を繰り返したお陰で強くなった「わたし」との信頼関係があるので絶対です。

世界中で、いやいや、宇宙中で一番信頼している「わたし」が「戦争はわたしの世界には存在しない」と決めたから、もうそうなんです。

わたしの世界にはマンモスは存在しないので、弓矢を使ってマンモスと戦う心配も準備も要らないのと同じですね(笑)

もうね、戦争もマンモスも同じレベルで存在してないんです・・・わたしの世界♡

自分が「そうだ」と決める。
その自分を100%信頼する。
そうすると、世界は本当に自分が創造しているのが腑に落ちてきます。

何度も呪文のように言い聞かせるんじゃないですよ〜。
わざわざ言い聞かせるということは、信頼してない証拠です(笑)

まずは、自分への100%の信頼。
その100%信頼している自分が決めるのです。

超面白いから、興味が在る方は是非お試しくださいね☆

まずは、ちっちゃなことから始めるのをオススメします。

ご飯を食べて「美味しい〜」と感じている「わたし」
本を読んで「ウルウル・・・」と感じている「わたし」
探しものが見つからなくて「もうーーー!!」と感じている「わたし」

いろんな事を感じている「わたし」に気づいている「自分」
その「自分」って本当に凄いことしてるんですよ!
もうね・・・「気づけている」って本当に凄いことなんです。
「気づいている」ということは「体感している」ことですからね。
今ココにいて、体感して味わっていることですから、本当に凄い事です。
だから遠慮せずに、そんな自分にカンパ~イ♪と、おおいに祝ってみてください(笑)

そういえば、昨年の暮れ。

2015年の抱負に「毎日がバースデー」と書いたわたし。

抱負

毎日が誕生日。
毎瞬が新しい自分の誕生。
だから毎日、毎瞬をカンパ~イ♪ってお祝いしちゃおう。

そう思って墨と筆で書き記したら、本当にそんな毎日が訪れました◎
書くと更にパワーを増しますね(笑)

昨年の暮れにこの言葉を記したなんて・・・
やっぱり自分って凄いじゃ~ん!!(笑)と、どこまでも自分を信頼して祝ってゆくわたし。
是非、お試しください。
世界が祝福で満ち満ち溢れますよー☆

こればっかりは、体感するしかありません。
外からの知識(情報)を、頭だけを使って自分に取り入れても
それはただ、引き出しに教科書を入れただけです。
内側からの理解(体感)こそが、わたしの真理です。

だから、人の数だけ真理のカタチ(捉え方)はあって良いのです。
みんな違って、みんな良い。

批判する対象なんて、何ひとつないんですね☆

あぁ、だからわたしはファンタジーの世界が大好きなんだな・・・としみじみ感じます。
ファンタジーの定義も実は曖昧ですけどね・・・。

このお話も機会があったら書こうかな。

今日もお付き合い、ありがとうございまーす。

夢について(4)

おぉー、夢シリーズが(4)まで広がるとは・・・!
わたしの「夢の世界」はどこまでも拡大したいみたいです☆

今日は、わたしの大切にしていること
「同じことは2度と起こらない」というメル論と夢の関係です。

けっこう前から「同じことは2度と起こらない」という事を感じています。
同じように見えても、同じではない。

だから瞬間ごとが本当にキラキラと貴重な体験です。
(どんなにキラキラと輝いて感じなくてもね・・・)

例えば、本。

同じ本でも、読むタイミグで全く響き方が違いませんか?
同じ文字なのに、ひと言ひと言が違って感じる経験は誰でもあると思います。

そう、同じ体験は2度と出来ないのです。

夢に対しての概念が変わり、「夢も体験」ということが完全に腑に落ちているわたし。

そうなると、どうなるか。

夢で体験したことを、現実(と感じている3次元)で体験する必要が無くなるんです。

4歳の息子・エイトは、よく怖い夢を見るそうです。
わたしにも話せないほど、怖い夢。
(話そうと思い出すだけでも怖くなるらしい・・・)

どうやら誰かに刺される夢とか、殺されるような夢みたいです。

さて、この話を聞いてアナタはどう感じましたか?
自分の感じたままを、感じてみてください。

可哀想・・・怖かっただろうに。
前世の記憶だろうか?
何かのメッセージだろうか?

まぁ、いろいろと感じると思います。

わたしは、始めの頃はちょっと心配したんです。

エイトが見た夢が、現実の世界に影響があるんじゃないだろうか・・・とか。
逆に、現実の世界の何かが夢として現れてるんじゃないだろうか・・・。

と、原因を求めたんですね。

でも夢に対する概念がガラリと変わってしまうと
そのことに対しての心配はゼロになりました◎

夢で体験したことは、もう起こらない。
だから、エイトに対しても自信を持って言えるのです。

「あぁ、怖い夢を見たんだね、怖かったんだね。」と彼が感じたままを受け止めることができて
「でも、夢で起こったことはもう2度と起こらないから安心してね。」と慰めでも気休めでもなく言えるのです。

そして何よりも、わたし自信にその出来事に対して不安や恐怖が全くないので
余計な不安や心配を彼に与えることがなくなります。

そうそう、子どもはキャッチしますからね。

表面的な言葉ではなくて、その奥にある波動をキャッチしています。
どんな気持ちでその言葉を発したのか。
特に子どもは分かるんですね(笑)

似たようなことが、娘・ウサコにもありました。

ウサコは悲しい夢を見る時期がありました。
シクシクと泣きながら目を覚ますのです。

で、その内容はたいてい同じもので
「ママがどこかへ行って、いなくなっちゃう夢」というものでした。

ちょうど子育てに悪戦苦闘していたわたしだったので
「あぁ、きっとわたしの問題がウサコにこういう夢を見せているんだ!」
「わたしのウサコに対する態度に問題があるんだ!」
「どうにかしないと、ウサコにトラウマを植え付けてしまう!」

・・・と、まぁ自分を責めて原因を見つけ出そうと必死になったのです。

今では、ウサコもそういう夢を見なくなったようなのですが
ウサコがこの夢を見た(体験した)ということは
あぁ、わたしはウサコと離れることは無いな!という確信になりました◎

もちろん、親離れをして物理的には離れる日は来ますよー(笑)
そういう次元ではなく、意識や心の繋がりです◎

「夢の世界」と「3次元の世界」

どちらも同じように貴重な体験に変わりはありません。

そのうち、このふたつの境界線は融け合ってゆくんじゃないかな・・・と感じます。

だんだん、日常がまるで映画のように感じることが増えたのです。
「さてさて、どんな展開になるのかなぁ〜!」とワクワクしながら見ている自分。
最高の特等席で映画をみているような感覚。

この感覚は「夢」に対する概念がかわってから、さらにパワーを増してわたしの中にあります。

・・・すごいなぁ〜!
夢の世界と、3次元の世界と、あらゆるアイテムを使って遊んでいる「わたし」という存在。

子どもがご飯の時間でも遊びたくなっちゃうのと似てますね(笑)

さて、今日は何して遊ぼうか。