『美しき緑の星』を観たてみた

久しぶりに映画を観ました。
今、話題(?)の『美しき緑の星』です。

この映画、1995年に制作されたフランス映画ですが
事実上発禁となり、ネットでアップしてもすぐに削除されてしまう・・・
そんな前書きと共に、つい最近知った映画です。

SNSで沢山の人が話題にしていたのを、わたしはずっとスルーしていたのですが
とあることがきっかけで「観てみよう!」と思った訳です。

先入観無しで、ニュートラルな状態で観よう・・・
これだけを意識していざ、映画を。

なかなか観るのが難しいと囁かれたにも関わらず、案外簡単に観ることができました☆

さて、ここから先はわたしの感想なので
ネタバレ御免の方は、どうぞスルーしてくださいね!

**********************

まず、だいたいのあらすじを書きますが
物語は自然豊かな星から始まります。
そこには人間とほぼ同じ姿の生命体が暮らしていて
彼らは衣食住全てを共同体で助けあって生きています。
人工物は無く、自然と共存している世界です。
テレパシーでコミュニケーションをとることもできます。

もちろん、貨幣制度はなく、政治もみんなで行うのです。
月に一度、山の頂上に全員が集まる総会で全てのことをみんなで話し合って決めるのです。
一応、家族という単位はあるものの、星の住民は大きなひとつの家族のような感じがしました。

そして、ストーリーの中で面白いのが
定期的にこの星から、他の星へ誰かを派遣させるというのがあるんです。
総会で、どの星に誰を派遣さけるかを決めるのですが
「地球へ行きたい人は?」と尋ねると、みんなうつむいて黙ってしまうんですね(笑)

そう、この物語では「地球=野蛮な星」となっていて
誰も行きたがらないのです。

「地球のことは放おっておきましょうよ」という声もある中
「いや、何かして助けてあげなければ」と議論がまとまらないでいると
ある女性が名乗りを上げます。

ミラというその女性は「切断プログラム」を授かり地球へと向います。
この「切断プログラム」というのがキーポイントになっていて
ミラに「切断プログラム」をかけられた地球人は、ありのままの自分を思い出すのです。
地球限定のルールに縛られないようになるんですね。

ミラが地球へ行って、いろんなことが起こるのですが
それをコミカルに描いている映画・・・そんな印象を持ちました。

さぁ!ニュートラルな状態でこの映画を観ようと心がけたわたし。
感じたままに、正直に言葉にしてみようと思います☆

違和感を抱く方もいるかもしれないけれど、あくまでもわたしの感想なので悪しからず。

始めのシーン。
美しき緑の星で、人々が互いに助け合いながら協調して暮らしている場面を観て
「きっと以前のわたしだったら、憧れや心地よさをダイレクトに感じていただろうな・・・」
と、まぁ〜何とも客観的に感じました(笑)

以前のわたしだけでなく、この映画をオススメする人の多くは
この美しき星を、疑うことなく「美しき星」「素晴らしき星」と感じるのだろうな〜と。

確かに、とても美しく描かれています。
緑は何処までも深く、壮大で、大人も子供も全てに満たされていて
「楽園」と言って良いほどに、素晴らしい世界でした。

そして、「地球は野蛮な星」という設定を観て「あははは〜!」と笑っちゃいそうになりました。
素直に「この映画、面白いな・・・!」と感じたのです。

「今だに貨幣制度らしい」
「車に乗っているらしい」
「えっ?車って、あの大昔の乗り物の事?!」

そんな会話が飛び交うのです。

そして地球へ派遣されたミラも、パリでいろんな事に驚く訳です。

土が何処にもない。
飲める水がない。
空気が悪い。
食べられるものがない。
地球人の顔色がみんな悪い。

いろんな人に訪ね歩くミラですが
不思議なことにミラと接触した人には
必ず小さな変化が訪れるのです。

突然、自然の美しさに気づいたり、肉食への嫌悪感を抱いたり。
そうして小さな変化を人々に与えながら
ミラは何人かに「切断プログラム」をします。
切断プログラムをされた人は、自分を装うことをやめて
ありのままの自分に戻ります。

心をオープンにして異星人のミラともコミュニケーションが取れるのです。
余計な固定概念が無くなるので、あらゆることを受け入れることが出来るようですね。

そうそう、「切断」という言葉は「固定概念を手放す」がわたしにはしっくり来ました◎

時々、ミラは家族とテレパシーでコミュニケーションを取りながら物語が進むのですが
地球の女性をテレパシーで観た息子2人が、その女性に会うために地球へ向かいます。

ところが彼らが到着した場所は、ミラの居るパリではなく原住民の暮らす土地でした。

原住民の人たちは、自然と調和した暮らしをしていて、彼らを快く迎え入れます。
「地球人は野蛮だ」と思い込んでいた息子たちは、自分たちと近い暮らしをしている原住民に好意を抱き
「地球人はとても親切だし、素晴らしい星だね!」と感動します。
そして、原住民の彼らと別れてミラの居るパリへと向います。

珍道中を経て、無事にパリに着いた息子たちはミラや理想の女性に出会います。
そして彼女たちに、自分たちの星での暮らしを話して聞かせるのです。

湖の近くに住んでいて、夜はみんなで草むらに眠ること。
起きたらすぐに、湖で水浴びをして午前中は運動をすること。
音楽というものは無くて、みな静寂を好むこと。
午後は勉強をする。政治はみんなでやるし、貨幣制度もない。
300歳近くは生きること。

そんな、地球とはまるで違う文化を話します。

この星の暮らしを聞いて、わたしは1年前に読んだ「アナスタシア」という本を思い出しました。

シベリアで家も何も所有せずに暮らしている女性の話です。
この本は実話で、アナスタシアという女性も実在するそうです。
そのアナスタシアは、ほぼ「美しき緑の星」と同じ暮らしを地球でしているのです。

その本を読んでいた頃(1年前くらい)は、アナスタシアに憧れを抱きました。
テレパシー能力を持っていて、地球のことをとても愛していて、所有という概念がないアナスタシア。
宇宙との繋がりをしっかりと持っていて、智慧を全て持っている女性。

彼女もやはり、自然と共存していて、自分の能力を使って地球の人たちに癒やしや助けを与えてるのです。
アナスタシアも自分の持つ能力を「誰もが元々、持っている」と言っています。
ただ、忘れてしまっているだけなんですね。

アナスタシアの考え方や生き方に、憧れさえ抱いてしまったわたしは
「誰もが持っている能力」という言葉に希望を感じました。
わたしにも出来るんだ!
わたしもアナスタシアのように生きることが出来るんだ!

そして、宇宙との繋がりを心から望んだり、自分を知りたいと思ったのです。

そうそう、この感想の始めでも触れたように
「以前のわたしだったら、この星に憧れを抱いただろうな・・・」という
「以前のわたし」というのが、ちょうど1年前くらいだったという訳です。

ちょっと、映画から外れてしまったので一度話を戻しますね。

お互いに恋に落ちた息子たちは、それぞれの彼女を連れて自分たちの星へ帰ります。
そして「美しき緑の星」で、彼らは今まで通りの暮らしをするのですが
エンディングで面白いな〜と感じたシーンがあります。

息子たちがお土産に持って帰ったロックのCD。
それをガンガンに掛けて、子どもたちが全身で踊って遊ぶシーン。
それを見たミラも思わず体が踊り出すんです(笑)

この星では「音楽」は古い文化となっていました。
彼らの世界では、自然の音が全て「音楽」なのです。
だから、あえて自分たちで楽器を使って音を奏でる必要が無いんですね。
それは古い文化なのです。

その古い文化を、今の子どもたちが面白がって楽しんでいる姿。
そのシーンにわたしは、ちょっとホッとしました。
どこまでも柔軟に素直に描かれた子供の姿に、ホッとしたんですね。

さて、全てを観終わっての、素直な感想は・・・。

「地球って素晴らしいなぁ〜!」でした☆
↑意外でしたか(笑?)

そして、この映画がどうして発禁なのかは、さっぱり分かりませんでした。
まぁ、いろいろと調べれば分かるのでしょうが、あまり興味がないのでどうでも良いです。
映画が全部観れて、めでたし。めでたし。

そうなんです。
始めの美しき緑の星に、素晴らしさを感じたけれども感動までには至らなかったわたしは
やはり「地球」に感動したんですね。

それは、どういうことか・・・。

話すと長くなるので、次回に書きますね。

長文、読んで下さりありがとうございます☆