祝福の嵐

子どもたちの夏休みに合わせて、東京帰省中。
…と言っても、東京滞在はわずかにて、山中湖にいます。

ひとり遅れて山中湖入りをして、わたしはまだ富士山に会えず。
雲が厚くてシルエットさえ見えません。

見えないけれど確かにそこに存在していると感じるのは不思議ですね☆

さて。
最近急激にあらゆる概念がぶち壊されてるわたしですが(笑)
新しい概念が生まれる時には、とても大きなエネルギーが放出される。
それを身をもって体験する事が連続してます。
まるで大地を揺るがす大噴火のごとく、予測出来ないような出来事です。

で、過去を振り返ってみてもそういう膿み出しの後には
必ずと言って良いほどに転機となる事が起こります。

ターニングポイントですね☆

渦中にいる時は、それが何を意味するのかなんて分かっちゃいないのですが、
良い流れの始まりである事は確信しています。

自分の本心を再確認する場合もあるし、求めていた答えを見つける事もあります。

頭で思考を始めると迷宮入りになって流れから外れてゆくので要注意です。

これはどんな意味があるのか…
これは何が現象かしたのか…

そうやって頭を使ってしまうと本題からどんどん離れて行きます。

自分が何を感じているか。
内側から溢れてくる言葉をしっかり聞き取るチャンスですね!

夏休みの宿題をやるかのごとく…
いろんな毒出しキャンペーン中のわたし。
どうせいつかは向き合わないといけないので無駄な抵抗はやめました(笑)

感情が動く時。(特に怒りや不安などの、重たい感情の場合)
今までは、ただ感情に飲まれっぱなしだったのですが
やっと注意深く観察できるようになりました◎

まだ感情に飲まれることも、もちろんありますが…。

わたしが最近体験したのは「悔しい」というエネルギーでした。
(制限のある言葉で表現してるのでドンピシャではないですが…)

悔しさのようなエネルギーが、大噴火を起こしてまだ残りがくすぶってる。
そんな感じでしょうか(笑)

で、わたしが最近思っている「自立する」ことが、より明確になりました。
例えば、パートナーであっても、基本は「個」であること。
親子であっても、基本は「個」であること。

それが尊重されて集合している…これがこれからの家族という形だと思います。
皆それぞれに体験したいことやタイミングがあるので、これが全てとは言いません。

少なくとも、わたしの世界ではこの基本が無ければコミュニティーの存在意味はないと思っています。

以前も書きましたが…
この春に「周りとの協調」にシフトしたわたしの意識ですが、決して自分を受け渡す事では無いという再確認でもありました。

ちょっと話が逸れますね。

数年前から「女性性」という言葉が頻繁に使われるようになりました。
封印されていた女性性の開花、これからは女性性の時代。
こんなフレーズをよく耳にしませんか?

わたしも好んでこの言葉を使っていたし、自分の中の女性性を開きたい!と願ってました。
今は「女性性」と言うよりは「自分を思い出す」という表現がしっくりきます。

で、もっと女性は活躍して良いと本当に思います◎
家族が尊重される「個」の集まりであるように、女性は自身の「個」を尊重して良いと思っています。

そうするとどうなるか…。

エネルギーのバランスに変化が起こるので、歪みや衝突が生じます。
これは善し悪しではなく、基本的原理で「息を吐くから吸う」のようなものです。
片方が変われば、もう片方も変わらなければバランスが取れないように、否応でも両者に変化を求められる訳ですね。

女性が変わるのであれば、男性も変わらざるおえないのです。
(もちろん逆も同じですよ〜。)

エネルギーが動くときは、現象として何か起こります。
さざ波だったり、大波だったり…大小問わずに何か生じます。

今回大噴火だったわたし。

文章にすることで自己完結していたつもりが、大噴火を起こしました〜(笑)
吐き出してスッキリした部分もあるのですが、どうにもスッキリしないものが残っていて不快極まりない!

それを思考は使わずに読み取ろうとするのですが、大噴火だっただけに時間がかかりそうです(笑)

でも、ひとつ紐解けたことがあります。

変化を望んでいて、いざ変化しようとすると抵抗する。
こんな経験はありませんか?

相手の成功や幸せを望んでいながら、いざ相手が成功しようとしたり幸せになろうとすると邪魔しようとする。

この矛盾は一体何か?

わたしはこれを「自我の抵抗」だと思ってます。

今までの習慣を変えられてしまう…という自我の不安。
相手が変わることへの自我の不安。

で、大抵は「心配してる」という一見、愛情のようにみえるエネルギーでこの自我正当化します。
(このあたりは「信頼について」をお読みくださいね☆)

「心配する」は完全に「心配する側」のエゴですからね!
受ける側にしてみれば、ありがた迷惑の場合が多いです(笑)

話は戻りまして、わたしが一番に感じたのは「悔しい」という感情でした。
元々エネルギーに名前は無いので、生じたエネルギーに自分で勝手に「悔しい」と名付けた訳です。

エネルギーに「悔しい」と名ずけてその体験をわたし自身が望んだんですね。
大噴火を起こしても、どうにもスッキリしなかったのは「悔しい」体験を選んだからです。

「悔しい」時って、vs ◯◯という構図になっていて誰か(何か)と対立しています。
誰かに対して悔しい。
何かに対して悔しい。
…そういう構図です。

そして悔しさをバネにして、目標へ向かってゆきます。
このパターンで目標を達成しても別に良いわけですね。

実際に「悔しい」をチョイスしてみて感じたことは…全然スッキリしない!

くすぶりがずっと残っていて、叩いても蹴飛ばしてもキリが無いのが目に見えてる。
恐らく目標を達成してもスッキリしないだろうと思います(笑)

しかも関係ないことにまで飛び火して、不満や不快が募るだけ…。

それに気づいてゆくと、無駄なエネルギー消耗に「…何やってるんだろう?」とバカバカしくなりますね。

女性性の特徴は、反発するのではなく包容力があります。
全てを抱き参らせる力です。

何クソ〜‼︎と反骨精神で向かうより、はるかに楽チンな方法です。

そして、自分にはその包容力があると確信すること。
これに尽きると思います☆

そして今回とても新鮮だった発見がありまして。

どんなに近しい存在であっても、お互いに必要であれば距離を置く勇気。
これは相手の選択を尊重することでもあります。

本人にその準備や覚悟が無ければ、変化する意味はないんですね。
ただ、タイミングでないだけの話です。

こちらが変わることを望んでいる場合、相手にも影響を与える訳です。
相手のタイミングを待って引くことも可能です。
距離を置くことも可能です。

自身の選択です。

この時は、誤魔化さずにちゃんと心の声を聞くことをお勧めします☆

相手のタイミングを待って引いたとしても、心の底で本当に変化を求めていたら今回のわたしのように大噴火となって現れますからね(笑)

まだ、くすぶりとして残っている「悔しい」というエネルギー。
わたしはもう少し、そのまま味わってみようと思います◎

「ただ、味わう」

次にいつ味わえるか分からないですからね!

何も決断せず、ジャッジせず、ひたすら味わってみたいと思います☆
動き出すのはそれからかなぁ〜!

感情的になってる時の判断ほど、危ういものはありません。
何処へ向かうか…これは嵐が完全に去ってからにしようと思いまーす。

どんなことも、時間が解決してくれることは多々あります。
嵐がさるのを静かに待つのも良いのですが、わたしはこの嵐をしっかり味わおうと思います。

風の音や、雨粒の音。
強風に揺れる樹の動き。
思考は使わずに、何の意味ずけもせずに
目の前の景色を意識的に感じてみようと思います☆

このタイミングでの大嵐。

祝福を受けている感じがして、ワクワクしております◎

アウトプットしてゆくって大事ですね!

長文お付き合いありがとうございます☆

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お金につて(貯蓄編)

子どもたちの夏休みに
長崎ハウステンボスから東京帰省を計画。
東京のあまりの暑さにツカちゃんと子どもたちは先に山中湖入りしました。

わたしは東京で予定があり、ひとり下北沢です。

何年振りだろう…マックで休憩中(笑)
マックアレルギーがあったわたし。

知らない間にも、いろいろとブロック外れてますね!

あれこれ歩き回ったのですが、電源使える場所がなく
マック様さまでやり残した作業をしています◎

ポテトとアイスティーで、涼しく作業できて感謝です☆

さて、今回の東京帰省は、わたし個人の用事がいくつかありまして。

そのうちの一つが、お互いのスケジュールと思いが合わずに
電話でやりとりしながら、わたしは毎度イライラしてたんですね。

(電話だと、余計にすれ違ってしまいますね!)

「何でこんなにイライラするんだろう」

それをちゃんと見つめて観察してみました。
出てくる感情を否定せずに受け入れたら
答えが紐解かれる体験をしました。

「 どんな感情も、そのまま受け入れる」

これがポイントでした。

ちょっと話が逸れますね。

例えば子どもが、寝る前に読んだオバケの絵本が怖くて眠れないとします。
(時々そういう事ってありますね〜)

「怖くて眠れない…」という子どもに、何と声を掛けますか?

「大丈夫、怖くないよ。絵本のお話だよ。」
安心させようと思って、そう声をかけても
子どもは納得しませんよね。

「大丈夫」という言葉は、本当に素晴らしい言霊だけど
その前にしなきゃいけない事があります。

「怖い」という子どもの感情を、そのままに受け入れる事です。

わたし自身「大丈夫、オバケはいないよ」と何度も言い聞かせながら
「…そうは言っても、怖いんだもんね」と気づいた訳です。

「そうだよね、怖いんだよね…」と子どもが感じるままを受け止めると
「寝てる間、ずっと手を握っててね」とか
「オバケが来ないかどうか、見張っててね」とか
子ども自身が「怖い」→「どうしたい」と扉を開いてゆくのです。

よく考えたら当たり前ですね。

目には見えないけれど、確かに胸のあたりにある「怖い」という気持ち。

有るものを無いと言われたら、そこから先に進みませんね。

話は戻りまして。

今回のわたしが受け入れた感情は、受け入れるのに随分抵抗がありました。

そんな感情を抱くなんて、とんでもない…!という思考が随分と邪魔した訳です。
でもイライラの原因がそこにあることは気づいていたので
「しょうがないよなぁ〜、そう思っちゃうんだもん」と受け入れたとたん。

扉が開きました。

実は、12年前に他界した父の遺産の件で郵便局で手続きがあったのです。
父がわたしたち三姉妹に、それぞれ遺してくれたお金が郵便貯金されていて
そのままの状態になってたんですね。

で、去年あたりから郵便局の人から
「結婚して名前も変わってるから名義変更した方が良い」と言われたらしく、その手続きは本人でないと出来ない、という話でした。

熊本に移住してから帰省することはあったけれど、なかなか手続きに行けなかったんです。

母としても、いい加減早く手続きをして欲しい思いがあり今回の帰省でやることにしました。

ところが熊本を出てから、わたしが東京に滞在している日程と母の予定が合わなくなり、お互いにアレコレと言いたいことを言ってたんですね(笑)

その手続き、熊本じゃできないの?
東京にいる間にわたしひとりで手続きに行けばいいんじゃないの?
タイミングが合わないなら、またの機会でいいんじゃないの?

どれも答えはNO。

何度も電話するたびにイライラは募るばかり。
そこで先に話したように感情を観察したのです。

で、わたしが受け入れるのに抵抗したけど確かにあった感情は
「押し付けがましい」というものでした。

母は電話で話すたびに繰り返す言葉がありました。

「お父さんが三人娘のために遺した大切なお金」です。

母はとてもそこに強い想いが入っていました。
だからこそ、しっかり自分で管理したい想いがあるようでした。

それ自体は、別に悪いことでもなんでも無く
母がそうしたいのだから、そうすることは良いんですね。
とても母らしいなぁ〜と思います☆

ただ、それを「当然のこと」として、わたしにも共感を求める事が重く感じました。
「あなたのために、お父さんが…」という言葉。
そして「押し付けがましいなぁ」という感情が生まれたのです。

この感情を受け入れるのは、かなり勇気がいることでした。

ところが、その後は思考が勝手に働き始めて「お金」に対する概念を壊して行きました。

親が子どもに財産(ここではお金)を遺すという概念。

これは完全に「親」の意識です。
「遺したい」「遺すべき」という親の意識です。

別に子どもは始めから、遺してくれるよう頼んだ訳でも望んだ訳でもないのです。

ここは勇気を持って言いますね…。
親が自分の想いでやったことに対して子どもは感謝して当たり前という概念。
親が大切にしてるものを子どもも大切にするべきという概念。

これが見事にぶち壊れました。

貯蓄することに、以前より解放されているわたしは
そうやって代々受け継がれることに疑問すら抱きました。

自分は子どもたちに「遺す」という意識があるだろうか?
そしてわたし自身はどう生きてゆきたいだろうか?

そこに向き合うきっかけとなりました。

父がわたしに遺してくれたもの。
遠慮なく有難く頂こうと思います☆

恐らくわたしはそれを、貯蓄せずに自分や家族に投資するでしょう。

大きなお金を遺すよりも、子どもたちには自分の力で生きてゆけるスキルや人脈を得て欲しいものです。

良くも悪くも想いの詰まった、重たいエネルギーが溜まったお金をバトンリレーのように渡す事だけはしたくないなぁ〜と思います。

お金は流れるもの。

しっかり見極めて、自分や家族に投資してゆきたい。

これが今のわたしスタイルです☆

わたし自身が、これからをそんな風に生きていきたいと願っています。

「おばあちゃんになっても、絵を描いていたい」と願うようになったのも、きっと関係あるでしょうね!

もちろん投資ですから先がある訳です。

一攫千金の宝くじを買うのとは違います。
やるからには本気でやる。

そしてちゃんと自分の責任で決める。
誰のせいにもしないこと。

自分に投資するという決意は、自分を信じることでもあります。

子どもたちにもそうあって欲しいのであれば、
誰よりも自分で実践してそう生きてゆかなくては
説得力もないですね!

今回、実家にわたしひとりで滞在して本当に良かったなぁ〜と思います。
お互いの腹の底にあるものを吐き出せる機会なんて、そうそう無いですからね!

お金を上手に循環させることが、わたしのこれからのテーマです。
お金に好かれる使い方を体験しようと思っています。

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『ビーイングタッチ』フライヤー

beingtouch

『ビーイングタッチ お話会』のフライヤーデザインをさせて頂きました。
福岡在住の河野先生をお招きした癒しのお話会と瞑想会。

どちらも素敵な時間だったようで、秋にも第二弾が開催されるようです☆

女性性、地に足の着いたヒーリング、温かい・・・というイメージ依頼で制作。
手に取りやすいサイズで収まりました。

イベントのフライヤーは、お店に置いてもらうことが多いので
お店の邪魔にならず、手に取りやすいサイズを心がけています。

(手帳にスッと挟めるぐらいが嬉しいですよね☆)

フライヤー制作は、イベント内容、どんな人が対象か、主催者の人柄などなど・・・
ある程度の枠があるのでとても勉強になります。

自分の世界を100%表現する絵を違って「お題」があり
自分なりの応えを導き出すスイッチに入れ替える訳ですが
昔はとても苦手だなぁ〜と感じていました。

が、最近はその面白さや発見がわかるようになりました。

お話しを頂けることは、嬉しいことですね!

これからも日々精進してゆこうと思います◎

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『整体処 みずのわ』フライヤーデザイン

みすのわ

熊本菊池で整体を開業された『みずのわ』さんのフライヤーデザインをさせて頂きました☆

ご近所で、とてもお世話になっている『みずのわ』さん。
昨年の冬至に開業されました◎

制作依頼があってから、制作に入るまで時間が空いてしまったのですが
「メルちゃんのタイミングで!」と、制作スイッチが入るのを待っていてくれました。
(ありがとうございます☆)

冬至に開業されることが決まり、それに合わせるようにスイッチが入り無事に制作。

表紙に描いた「円」は、見る人によって様々なイメージを抱くようです。
毎度、依頼を受けて描く絵には、面白い体験が伴い
わたしも楽しく制作させて頂いています。

「みずのわ」さん。
整体が本業ですが、美味しい自家製お野菜やお米も作っています。
イベント出店や、出張整体もされているので、気になる方は是非連絡してみてくださいね。

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「整体処 みずのわ」
mizunowa18@gmail.com
【完全予約制】

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ロゴマークを描かせて頂きました☆

わたしの大好きな歌い手さん。
唄者・文美ちゃんのロゴマークを描かせて頂きました☆

まだわたしが、マルシェの主催をしていた頃。
あやちゃんの歌をちゃんと聴いたのは
そのマルシェでライブをしてもらった時なので
2年前になるのかな?

華奢な体から、沖縄の風を感じるような力強い唄声が溢れるのを
ライブで観て感動したのを覚えています。

「つむぎ」というユニットでCDを制作中という話を聞いて
その年の暮れに東京帰省で「つむぎ」のCDをお土産に持って行きたくて
「CDは完成した??」と、フライング注文(笑)

待ちわびていたCDを今年の春に手に取りました☆

とにかく唄声にも、歌詞にも、曲にも惹かれていたんです。

あやちゃんから「唄者・文美」としてのロゴマーク制作依頼があって
とても光栄な気持ちで制作させて頂きました◎

ちょっとしたヒアリングをして、わたしのイメージで創り
それをたたき台にして完成さてよう・・・となりました。

イメージを膨らませる時間は、
物語のページをめくるようで本当に楽しかったです。

あやちゃんは華奢でとても可愛らしい人です。
そして新天地へ向かってどこまでも飛び続ける
芯の強さを感じました。

そうそう、優しさを持った強さです。
唄い続けて、飛び続ける渡り鳥。

聴こえる人にはちゃんと届く、夜の子守唄。

お月さまはいつも変わらずそこにいて
全てを静かに見守っている。

そして、あやちゃんの故郷、富士宮から見える富士山。

・・・そんなストーリーが絵本をめくるように、ゆっくりと流れてきました。

これはあくまでも、わたしを通した物語です☆

この体験は本当に貴重なものでした。

誰もがその内側に、その人だけの物語を持っている。
それを、わたしはわたしを通して、その物語を感じている。

わたしが今までやってきた「絵を描く」事と同じでした。

わたしは、わたしの世界観で絵の中に物語を持っていて
それは決してひとつではない。
観た人、それぞれが自身の世界観でそれぞれの物語を感じる・・・。
1枚の絵に、無数の物語が存在してるのです。

今までわたしは「絵」を通してそれを感じていたのですが、人も同じですね!

そうなるともう、人間はただ存在するだけで無数の表現をしている訳です。
これって、本当に素晴らしいことですね☆

どうしても人間関係になると、肩書や自分との関係性が邪魔をして
その人をそのまま感じること難しいものです。

そういう邪魔なものを削ぎ落として
その人をそのままに感じてみる。

この体験ができて、わたしの視野が広がった気がします。

時にそうやって、曇りメガネを外して世界を観ていこうと思います。

あやちゃん、本当に素敵な時間をありがとうさま〜☆

みなさま、唄者・文美の歌声を是非聴いて
自身の感じるままにストーリーを楽しんでくださいね。

utasya-ayami

『唄者・文美』Facebookページ

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信頼について

本当の「愛」は「信頼」だという確信。

どれだけ自分を信頼できるか。
どれだけ世界を信頼できるか。
どれだけ相手を信頼できるか。

これに尽きるなぁ・・・という体験をしました。

わたしが子どもの頃。
両親は子どもが痛い目に合わないように
小石さえもどかして道を示そうとしました。

わたしはそれを「本当に、心配性で困る!」と感じていましたが
最近になり、これは両親なりの「愛」の表現だったのだろうな〜と気付きました。
そして同時にこの「愛」の表現には欠けているものがあるとハッキリと分かりました。

「信頼」です。

結局は子どもを信頼できていないから、自身の体験を元に
いろいろな体験を子どもから奪っているのです。

転ぶことを知らないから痛さを体験できす。
いつも付き添うから冒険ができず。

一見、優しさのように映るこの手の「愛情」は自己満足でもあります。
自分の安心のための意識ですからね。

子どもが何か体験する前から「これは危ないから触っちゃダメ」「ここは危ないから行っちゃダメ」
こんなことを、ついしてしまう事ってありませんか?

大人になると、怒られることも反対されることも少なくなるので
自分が周りにそういう「愛」という名の心配をぶつけていることに気づきにくいですね。

でも不思議なものでして、自分がそういう「信頼」の欠けた「愛」をぶつけられると
あぁ、自分も周りに同じ事をしてしまっているんだなぁ・・・と分かります。

その時に感じるのは「あぁ、信頼されていないなぁ」という、その愛の正体です。

子どもの頃には気付けなかったことが、大人になって似たような体験をすることで
より深い理解がありました。

体験の多い人は特に、自身の経験から結果を相手に示してしまいますが
体験の少ない人にとっては、未知なる体験を奪われるような感覚が残ります。

勿論ケース・バイ・ケースであることは確かですが
「信頼」こそが「愛」の基本だなぁ・・・と痛感しました。

じゃあ、子どもが何か冒険をしようとした時。
何かにチャレンジをしようとした時。
わたしは、多少危険が伴うと感じていても旅をさせることができるだろうか。

そこには、日々の積み重ねのような信頼が必要だな、と思います。
本当に些細なことからの信頼。
そして何よりも相手を信頼している自分自身への信頼。

かわいい子には旅をさせよとは、よく言ったもので
子どものうちに多くの体験をすることは本当に人生を大きく変えると思います。
(わたし・・・もういい大人になっちゃってますからね!)

そこには周りの絶対なる信頼という愛が必要不可欠です。
でないと、余計な邪魔をしてしまいますからね(笑)

この気付きのお陰さま。

わたしは自分が無意識でやってしまっていることをハッキリと観ることができ
さらには、わたしの世界をどんどん広げてゆく決心ができました。

本当〜、頭ごなしに反対されると歪みが生まれますからね!
してもされても良いこと無しです(笑)
気をつけたいと思います。

長文、お付き合いありがとうございます☆

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それぞれが主役(ポポちゃん・5)

自宅出産を扱ってくれる村上さんに会いにゆく前の話。
(詳しくは「ポポちゃん・1」「ポポちゃん・2」「ポポちゃん・3」「ポポちゃん・4」をお読みくださいね☆)

妊婦健診で最初にやる血液検査の結果を待っていました。
3人目で、年齢も重ねているわたしなので
検査結果が出るまでは子どもたちにも両親にも妊娠のことは話しませんでした。

その結果、貧血ではあるものの大きな異常もないことが分かり
わたしの中で、第一関門突破〜☆という感じです。

実は、検査結果が出る前から娘のウサコは
「メルちゃん、ちょっと太ってきたんじゃない?」とか
「お腹、出過ぎ〜!赤ちゃん居るかもよ〜?」とか
そんなことを言ってたんですね。

7歳とは言え、さすが女の子ですね(笑)

検査結果も、たいして問題がなかったので翌日。
ドライブの途中で休憩したソフトクリーム屋さんで子どもたちに伝えました。

・・・というのも、車内での会話でお腹の中に居た時の話になり

「ウサコがお腹に居た時、メルちゃんアイスクリーム食べた?」
「夏だったから、食べてたなぁ〜」と答えると
「じゃぁ、その時ウサコもアイスクリーム一緒に食べてたんだね!」

「エイトがお腹に居た時は〜?」
「もちろん、食べてたな。」
「じゃぁ、エイトもお腹の中でアイスクリーム食べたんだね!」

そんな会話をしていたんです。

その直後に立ち寄ったアイスクリーム屋さんで珍しく1人1つずつソフトクリームを食べました。
(だいたい、子どもは1つを分けっこして食べることが多いです◎)

暑い昼下がり。
4人揃ってソフトクリームを食べている時に「あっ、今だな」という気持ちになり質問した訳です。

「病院に行ったんだけど、メルちゃんのお腹に赤ちゃんが居るでしょうか?居ないでしょうか?」

「えぇ〜、どっち?どっち?居るの?」とソワソワしているウサコに正解を伝えると
口の周りがソフトクリームでグチャグチャな顔で、今まで見たことない位の顔で驚いてました(笑)
(写真に納めておきたい程の顔・・・!)

「だから、今お腹の中の赤ちゃんも一緒にソフトクリーム食べてるよ。」

そして赤ちゃんに名前を付けよう、という事になり「ポポちゃん」と決まりました☆

しばらくしてから、エイトが不思議な話をしてくれました。

胎内記憶がある子どもの話を聞いたことはありますか?
お腹の中にいた時の様子を覚えている子どもたちです。
時には、お腹に宿る前の記憶を語ることもあるそうです。

ウサコもエイトも、そんな話をしたこともないし
「わたしのお腹の中に居たんだよ」と話すと「えぇぇ?!」と驚いたほど
その記憶は風のように消え去っていました。

それに対して、わたしは残念とも何とも感じなかったのですが
ポポちゃんの話をして数日後にエイトがふと、思いついたように話をしてくれました。

「たぶんね、お空でパソコン見ながらこのお母さんの所で、こんな体験しよう〜って決めたんだと思うよ。」
(タブレット画面を指でスクロールさせる仕草をしながら・・・)

もう4歳になっていたし、自身の胎内記憶とは思えなくて
「エイトは、そうだったって覚えてるの?」と聞くと
「違うよ。覚えてるんじゃなくて、そうなんじゃないかなぁ〜って思いついたの。」

時々、タブレットで写真をスクロールして選んだものを見て遊ぶことがあって
その時に「思いついた」そうです。

こんな感じの話は、胎内記憶を持ってる子どもが共通して話すんですね。
「お空に大きなテレビがあって、そこにいろんなお母さんの顔がでてきて選ぶ」

わたしが、その話を子どもたちの前でしたのかどうかは忘れちゃいましたが
「自身の記憶」ではなく「思いつき」というのがエイトらしくて
わたしは彼の言葉をそのまま信じることができます◎

(逆に「覚えてる」と言われると「うそ〜?」と疑ったかも知れません)

「子どもはお母さんを選んでやってくる」

この言葉も耳にした人は沢山いると思います。

わたしも、ウサコやエイトを産んで育てる間に何度となく耳にしました。
でもこの言葉は、まだわたしの中には完全に響いていなくて、ただの「知識」だったんですね。

ポポちゃんがお腹に宿ってから、わたしは体感として、この言葉を理解するようになりました。

わたしが整うのを待って、このタイミングでやってきたこと。
それが、何よりも「ポポちゃんはちゃんと全てを見ていて、時が来るのを待っていたんだ」という確信になっています。

(こればかりはわたしの確信なので、どこまでもメル論です☆)

それと、もうひとつ。

母親は特に、妊娠時期に一体であるために「我が子=自分」となりがちです。
それは生まれてからも続いていて、子どもと自分は運命共同体という感覚。

「子どもは、お母さんを助けるためにやってくる」

この言葉も、どこかで聞いたことがありませんか?

わたしは以前は「子どもと自分は運命共同体」という意識でこの言葉を理解していました。

自分の問題は我が子の問題でもあり。
我が子の問題は自分の問題でもあり。

そんな感覚が少なからずあったと思います。

ポポちゃんを妊娠してから、ふと思いついた事がありまして。

近しい存在(例えば家族とか)は、つい運命共同体のように同化してしまうけれど
実のところ、それぞれが、それぞれの人生というストーリーを味わっているんだな〜
という当たり前のことに、ハッとされました。

他者はあくまでも登場人物で、関係ないと言っちゃえば関係ない。

ポポちゃんは「わたしの体」を通して、ここにやってくるだけで
ポポちゃんは「わたし」では無いということ。

体を貸しているだけで、ポポちゃんが望んだ通りこの地に舞い落ちるように
その間は母親と子どもは運命共同体のような不思議な時期を過ごすだけなのです。

だって、そうでなければポポちゃんが望んだ通りの舞台は整いませんからね!

ポポちゃんが「今度は、こんな役をやりたいんだ!」と望んでいて
わたしは運命共同体のような一体感を持ってポポちゃんという登場人物を完璧に育んでいる。

お腹に宿った瞬間から個性はあって「わたし」ではない存在。

「わたしの人生は、わたしのもの」
「ツカちゃんの人生は、ツカちゃんのもの」
「ウサコの人生は、ウサコのもの」
「エイトの人生は、エイトのもの」
「ポポちゃんの人生は、ポポちゃんのもの」
という当たり前の発見がありました。

あっ、だからといって関係無し〜!という投げやりな感覚ではないですよ(笑)

それぞれの人生というストーリーを尊重するということです。
このメンバーで家族となることを、わたし自身がわたしの人生で決めたこと。
それと同等に、ツカちゃんやウサコやエイトも自分のストーリーのために決めたこと。

同じ舞台に立っているけれど、ストーリーはそれぞれが主役です。

そのことに、ハッと気付かされたのです。

そうなると、どうなるか・・・。

わたしは、わたしのベストを尽くすのみなのです。
例えば「ポポちゃんにとって、どうなのか?」と気を揉む必要は全く無く
ポポちゃんはポポちゃんの望むストーリーを味わうのです。

そういう意味で「赤ちゃんはお母さんを助けるためにやってくる」んですね。
お母さんが自分の人生のストーリーの中で、ベストを尽くすためにやってくる。
決して、赤ちゃんが自身を犠牲にしてお母さんに尽くす訳ではありません。

自分のストーリーでは、誰もが主役ですからね☆

「この体験のために、お母さんの体を借りたよ〜。サンキュー!」くらいの気持ちかも知れませんね。

そしてとても大切なことなのですが・・・。

自分の決めたストーリーを展開して味わうためには、周りの存在が必要不可欠だということ。
自身の主役を味わいつつも、共に舞台に立ってくれる存在への有り難さ。
これが溢れる愛情なんじゃないだろうか・・・と感じる今日この頃。

誰かの脇役に徹するのではなく、それぞれが「自分」という主役をただ漫喫すること。
そのことが同時に、誰かの名脇役となっていること。

宇宙のシナリオって、どこまでも完璧ですね☆

ただ、存在してくれるだけで有り難い。

この言葉が知識ではなく、やっと身に沁みて感じることができました。
今後も何度と無く、味わうのでしょうね。

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