6年ぶりの再会☆

子どもの記憶って驚くほどに
「えー、あの頃を覚えてないの〜?」ってくらい
顕在意識の中では忘れ去られていますね(笑)

以前はそのことに、ちょっとセンチメンタルな気分を覚えましたが
最近では「よっ、さすが人間って素晴らしい〜!」と感じます。

子どもたちの目の前の「いま」に真剣なところ。
わたしも何歳になって見習っていたいなぁー。

・・・というのもですね。

いま沖縄の知人が来熊中でして。
平山温泉や阿蘇をまわってから菊池へやってきます◎
で、週末に家族揃って会う予定なのですが
「ウサコは梢子ちゃん、覚えてる?」と尋ねると
沖縄へ行ったことすらほとんど記憶に無いらしい。

じゃあ、会う前に昔の日記を引っ張りだして
ウサコに見せてあげようか!と
数年ぶりに再ログインできたmixiを覗いてみた訳です。

わたし、けっこうマメに日記をつけてたみたいで
こういう時に助かるなぁー!と痛感です。

以下、当時31歳のわたし(←若いなぁー!)
37歳のツカちゃん(←まだ30代ー!!)
2歳のウサコ(←ちっちゃいなぁー!!)
胎児のエイト(←産まれるちょうど1ヶ月前♡)

でお送りする、6年前の日記です。

6年後に熊本で再会するとはね。
週末が何とも楽しみでしかたないわたしです。

**********************

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梢子ちゃん、もう4歳で、この9月には5歳になるんだね。
去年、たった1泊だったけど忘れられない素敵な家族です。

ウサコさんは覚えてるかな?
扉を開けると梢子ちゃんが待っててくれて
ウサコさんは少し照れ屋さんになってました。

が、子供ってすぐに打ち解けるのね。

さっそくぬいぐるみを2人で机に並べては学校ごっこ。
去年はウサコさんも小さくてなかなか一緒に遊べなかったけど
1年の成長って本当に凄いね。

2人で仲良くお絵かきを始めました。

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梢子ちゃんもすっかりウサコのお姉ちゃんになってくれて
画用紙もクーピーも優しく貸してくれました。

梢子ちゃんのクーピーは全色半分に折れてて
「同じ色を同時に使えるから、これ良いね!」って言ったら
「そう。しょこが 半分にしておいたの。」だって。

可愛いね、子供って!

途中、パパさんとわたしは部屋でお昼寝。
ゴロゴロしてたら2人だけで仲良く遊んでました。

ウサコさん、本当に梢子ちゃんのことお姉ちゃんって思うだろうね。
そのくらい、仲良しでした。

夕方、雨が上がったので海までお散歩。
梢子ちゃんが案内してくれました。

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珊瑚がいっぱい。
ウサコさんは両手いっぱいに拾って大満足。
千葉の海とは違うね。
どこも違って素敵だね。

日も暮れそうだし、そろそろ帰ろうよー。
って言ってもチビッコ2人は帰る気配なし。

かくれんぼが何回も開催されました…。
こりゃ、帰るまで大変だなぁ。

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このかくれんぼ。
梢子ちゃんルールで何故か毎回、隠れるのパパさんのみ。

パパさん、ウサコさんを抱っこしながら
家へ向かって頑張って隠れてました。
もうね、最後は隠れる岩とか何にもない見晴らしのよい道路だから
そりゃパパさん大変そうでしたよ。

「もういいかい!」
「まぁだだよ!」
の連続です。これはこれで面白かったけど。

帰ってからお風呂に入り、夕食。
沖縄ならではの食材を使って、贅沢なメニュー。
去年も美味しかったよー。
ここのご飯を食べるためだけに来ても良いくらい。

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あっ、2人でこっそりつまみ食い。
ウサコさんは何でも真似っこ。

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メニューは、
青パパイヤのチャンプルー
島らっきょう
サツマイモのパッションフルーツ煮
ツルムラサキのおひたし
もずくスープ
人参ご飯

青パパイヤは母乳に良いんだって。
糸満は人参が有名でたくさん採れるそうです。
お庭で採れる野菜もたっぷりで、こういう暮らし素敵だな…って
何度も思います。

ウサコさん、初めはバランスよくモリモリ食べてて
お箸の使い方も褒められてたのに…。
後半になって少し遊び食べ。
椅子の上に立ったりするから梢子ちゃんに何度も叱られてました!

何でも、最近『アルプスの少女ハイジ』のDVDが好きらしい梢子ちゃん。
そのセリフをほぼ丸暗記してるんだって。
ロッテンマイヤーさんになりきって

「アーネルハイド!なんて所に立ってるんですか。
椅子の上じゃありませんか。早く降りなさい!」

ってな感じで。
それ聞くとウサコさん、嬉しくなって大喜び。
何度も椅子の上に立っては梢子ちゃんに怒られてましたとさ。

奥さんによると、今のウサコさん…2年前の梢子ちゃんにそっくりだって。
「きっと2年後は、こうなるよ~」

嬉しい限り☆ 
ぜひとも、梢子ちゃんのようにスクスク育ってほしい。

偶然にも梢子ちゃんも9月生まれ。
ウサコさんと日にちも近いので、来年は一緒にお祝いできるといいね。

そうそう、梢子ちゃんがチビスケの名前を考えてくれたんだけど
これがリアルでねぇ…ホントに決まりそうなくらい。
私たちが考えてる名前に近くて。
ちゃんと候補にいれておくからね。

素敵な時間をありがとう。
明日にはもう千葉へ帰ってしまうけど
ここへはまた訪れる気がします。

沖縄、ありがと~!

キャベツ帽子

HIROTO

1週間ほど前。

ヒロトが高熱を出して幼稚園を早退。
そんな日を2日くらい過ぎると
全身に発疹が!
そしてチラリと白い歯が!
そう、突発性発疹☆
ヒロトくん、順調に成長しております。

発熱初日。

すぐに早退させてもらい
帰りがけに大きなキャベツを買って
さっそくキャベツ帽子。

・・・オバチャンみたいになってますね(笑)

ヒロちゃん、本当に頑張ったね。

今は発疹も引いてきて
元気100倍になりました◎

職場で子どもを預けられるって
本当にありがたい環境です。

携帯していたホメオパシーのお陰さま。
すぐに飲ませたいレメディも有効活用できました。

で、ヒロトの熱が治まったのと入れ替わり
わたしの奥歯が腫れ上がり。
久しぶりに歯医者に通っております。

で、化膿止めの薬を飲まないと
根っこの膿は治らないようでして。
授乳中の抗生物質。

先生に相談すると
血液に全く移行しないとは言えないけれど
たとえ移行したとしても
今まで赤ちゃんに何かあったことは無いとのこと。
気になるなら、粉ミルクを使ったらどうでしょうか。
でも薬を飲まないと腫れは引かないでしょうね。

・・・と丁寧に対応してくれました。

ヒロトは離乳食も始まっているので
もしかしたら卒乳のタイミングなのかなぁ?
と思い、帰りに粉ミルクを購入。

お留守番してたヒロトに
「もう、オッパイ終わりにしようか。」
「今までたくさん飲んでくれてありがとうね。」
そう伝えると、ちゃんと分かったらしく

「ぎゃーーーーー!!(嫌じゃあーーーーー!)」
と、今までで最高の号給っぷり。

それであれこれ調べたところ
処方された薬は「セフェム系」で
血液に移行されにくいらしく
授乳のタイミングを気をつけたりすれば
大丈夫なようでした。

粉ミルクは翌日には返品。
まだ7ヶ月だもんね。
しっかりコミュニケーションとってゆこうと思います。

それにしても、歯のメンテナンス大切ですね!

わたしが給食のおばさんになるまで③

自分では「給食のおばさん」と思ってますが
幼稚園では「給食の先生」と呼ばれてます☆

先生という響き、懐かしいです。

・・・というのも。
わたしは中高の美術教員免許を持ってまして
先生になりたかったことは1度もないのですが
大学が超楽しかったので
受けられる授業はほぼ全て受けるという
ちょっと変わった生徒でした。

なので、教員の授業も参加して
高校へ教育実習もしました。

今思えば、何とも失礼な動機で
「高校の美術の先生っていいなぁ〜」とも考えていました。

だって、美術室が半分自分のアトリエみたいだったし
自分の制作も続けながら仕事も出来るって最高だな!
なーんて考えていました。

大学では銅版画に夢中でしたから
卒業しても自分の制作の場を求めていたんですね。

そんな生ぬるいわたしですから
当然、教員採用試験を突破することもなければ
(一度も挑戦すらしてないか!)
免許はただ取得しただけの免許でした。

その免許がたった一度だけ役にたったことがあり
大学を卒業してからプー太郎で何もしてなかったわたしに
大学から「中学校の臨時教員をしないか?」と声が掛かりました。

もともと、教員への熱意があった訳でもなく
かといって、家でプー太郎でしたので
(何でも良いから、働いて動け!という雰囲気ありますからね。)
とても返事に困っていました。

そしたら母にお尻を叩かれる形で
3ヶ月の契約だし、やってみよう!ということになりました。

あれこれと手続きを済ませて
実家から2時間かけての通勤で
千葉の市立の中学校へ臨時教員として採用されました。

美術の先生が病気で急に入院されて
他の先生達で交代でどうにかこうにか
授業を回していた・・・とうことでして
わたしが来たことをとても喜んでくれました。

新卒で熱意もない22歳のわたしが
中学1年から3年まで全クラスの授業をやるんですが
今思えば、本当に反省ばかりで
もっとあんなことができただろうに・・・
あの子はあんな態度だったけど
何か言葉を掛けられただろうに・・・
と、思い悔やむことの多いこと、多いこと。

授業や子どもたちと接することは
とても楽しくて嫌ではないのですが
もうひとつ、とても大切なものが欠けているんです
当時のわたしは。

ただ、授業をすればよいだけではなくて
もっと根本的なもの。

それが欠けたまま、わたしはどうにか3ヶ月を過ごしました。

せっかく体験させてもらった
教員の現場という立場。

なのに、わたしはその後一度も
「教員になりたい」と思ったこともなければ
自分の表現の世界へドップリと浸かってゆきました。

ま、それは実が熟す時じゃなかっただけの話ですが
それでもその時に接した子どもたちにとっては
1度きりの中学時代であって。
そこで出会う大人ってのは、結構大切だったりする訳です。

だからとても悔やんでも悔やみきれん狀態を
わたしは無意識にもずっと抱えていたんでしょうね。

ウサコの1、2年の担任の先生と飲んだ時に
その話をしたんです。

そしたら先生は

「先生だって、いろんな人がいるから、
その時にツカザキさんと会った子どもたちも
それが縁だったのだから、それもそれでいいのよ。」

と言ってくれました。

「本当に、いろんな人がいるんだから。」

でね、当時のわたしの熱意の無さはとんでもないことですが
もしも熱意に溢れてその3ヶ月を教員として過ごしたとします。

それが結果どうだったのかは、わかりませんね。

それに教員としては常識が無いわたしでしたが
何名かの子どもたちには何かを伝えたかも知れません。

「先生は先生っぽくない」

そんな感じの臨時教員でしたからね。

やはり、全て必要なタイミングというか
必要な体験であるように
その時は、そのわたしが教壇に立った訳です。

教育実習の時もそうだったけど
美術の授業って、5教科に比べると
ちょっと自由な環境なんですね。
表現の授業ですから。

だから、子どもたちもそんな気分で来てるのが
だいたい分かるんですね。

「美術の授業だから、ちょっと眠れるや〜」とかね(笑)

で、中学生も高校生も結構疲れてる訳です。
午後の授業なんて、眠くなる人の方が多くて
わたしも学生時代は起きたくても居眠りしちゃう子でしたので
そこんとこ、よーく理解出来ます。

よーくその気持が分かるので
うつ伏せで居眠りしてる子には
「毎日疲れるよねぇ、3分だけ寝ていいから
3分たったら自分で起きて課題やってね。」って気分。
たいていの子は3分位休んだら自分で起きてました。

だからと言って、クラス全員が3分居眠りするかといえば
そうではなく、それぞれに自分のペースで課題をやってました。

そんな、ある意味テキトーな教員だったわたし。
先程も言ったように、欠けているものがあるんです。

「子どもの目線に立つ」ということ。

先生だから「先生らしく」と常に上から頑張って見てたような気がします。
「頑張って」というのは、自分はまだまだ尻が青いことを自覚してるので
それを隠すかのように頑張って「先生らしく」あろうとしてたんですね。

子育てをして良く分かるのですが
中学生といったら、本当に個がちゃんと芽生えていて
子どもだけど子どもじゃないんですね。
ちゃんと一人一人、個性と自我を持ってるんです。

先生と生徒は決して対等である必要はないのですが
一人ひとり、それぞれに名前があるように
子どもの数だけ、大切な1度きりの人生を生きています。
かけがえの無い存在なんですね。

それを知ろうとすること。

それが当時のわたしに欠けているものでした。

ま、新卒でまだまだ未熟なわたしでしたので
授業をするので精一杯。
目の前にあるのは、カボチャだ!ってなくらいで
必死でやっていたのかも知れません。

でもカボチャではなく
それぞれがかけがえの無い人生の主人公な訳です。

10年以上経って、本当にあの頃の経験が
今のわたしに必要だったのが分かります。

授業や勉強の中身は後からついてくるようなものでして
どんな人に出会うか・・・それで人生変わってゆきます。

何か、そんな映画ありましたね。
思い出したらお知らせします◎

わたし自身が、未熟なまま教員をしていたことがあるので
学校でのいろんな先生に対してモノ言うなんて、とんでも無いというか
未熟でなくベテランであったとしても
みんなにとっての最高の先生であれるなんて
恐れ多くて想像もできません。

ただ、わたしがとっても後悔した
「子どもの目線に立つこと」は
時おり、思い出しながら子どもたちと接してゆきたいと願ってます。

接する子どもたちのためというよりは
自分自身のために
そう在りたいと感じています。

誰かのお手本となり
同時に、誰かの反面教師でもあり。

そんな存在になりたいな!と感じる今日この頃。
更新していない教員免許は恐らく無効!(笑)
でも、わたしらしく(?)有効活用されたので
人生無駄なモノって本当にないもんだなぁ
って痛感です。

長文、お付き合いありがとうございます☆

わたしが給食のおばさんになるまで②

どうも、新米の給食のおばさんです。

前回に引き続き、ここ1年くらいの
わたしの意識の変化を綴っております◎

ウサコが2年生になる頃には
「公教育アレルギー」が和らいできたわたし。

前回の記事にも書きましたが
反対の極へ向かうために
強〜いエネルギーチェンジが起こりました。

それまで違和感なく居れた空間に
1分でも居られなくなりました。

それで、鈍いわたしでさえ
「あっ、わたしの意識(エネルギー)が変わったんだ!」
と気づいた訳です。

去年オープンしたコミュニティスペースがあるのですが
そこでいろんなイベントやお茶会を企画してたんですね。

お茶会の中で「学校について考える」をテーマにしたものがあって
わたしは初回から参加を遠慮していました。

というのも、話の内容が学校への否定的なエネルギーを
わたしがどうしても感じ取ってしまったからです。

あっ、ちょっと補足しておきますね。

そこに否定的なエネルギーを感じたのは
あくまでも「わたし」の感覚なので
「今の教育を否定するお茶会」ではなく
「新しい教育のあり方を話す前向きなお茶会」
だったと思います。
ただ、わたしの意識の変化のせいで
前向きなエネルギーを受け取れなかっただけですので
お茶会自体は、意味のあるものだったと思います◎

何でも意識のあり方で見方、感じ方は変わりますからね!

わたしも1年前の意識だったら
そこに希望の光のような明るいエネルギーを
感じ取っていただろうな・・・とよく分かります。

良い、悪いではなく、エネルギーの違いですからね。

必ずしも学校へ行くことが良い事とは思いませんが
わたしの場合、親の意識が子どもに大きく影響することを
自分の体験で感じています。

例えば「我が子が学校へ行きたがらない」という場合。
「学校へ行かない事」を親の方が望んでいるケースもある
・・・ということです。

これは全てがそうだ、という訳ではなく
学校へ行きたがらない理由は子供の数だけ複雑にあるので、
子どもとのコミュニケーションが大切ですね◎

で、別に学校へ否定的な意識があっても構わないのですが
わたしが特に受け入れがたいエネルギーは
頭ごなしに全てを否定するような
歩み寄りのないエネルギーです。

確かに、首をかしげたくなく事はたくさんあります。
何てくだらないルールなんだ!って怒りを通り越して
笑いたくなっちゃうことも多々あります。

それでもわたしは「世界は素晴らしい」と感じているし
子どもたちにそう感じて世界を味わってもらいたいと願っています。

「くだらない」と感じるような場所にさえ
ちゃんと「愛」は存在していて
その「愛」に気付けるかどうかは
広い視野と想像力だと思います。

まだ思春期前の子どもは
周りの大人(特に親)の意識を
本当に素直なままに受け入れてしまいます。

ちょっとした例ですが
わたしが大好きなアーティストのCDを
車の中や家で流しながら聴いてると
ウサコも好きになる訳です。

「わたしYUKIちゃん、超好きなんだ」って言えば
ウサコも超好きになるんですね(笑)
で、別に親の影響で超好きになってもオッケーですが
ウサコが自分で見つけてきた好きな曲は
同じ「好きな曲」であっても質が違うのは分かりますね。

あと、わたしが細かい絵を描くものだから
ウサコが4,5歳の頃はわたしの真似をして
超細かい絵を描いていました。

そのくらい親は子ども模範になる存在です。

だから親が学校を否定すれば
子どもはそういうものだと感じる事もあるって訳です。

じゃあ、親は学校を否定する意識を捨てなければならないか?
・・・と言えば、そうでもなく。
否定しようが肯定しようか、親だって人間ですから
自分が感じてること、ポリシーとしていることは
大切に尊重して良いと思ってます。

ただ、それを言葉にして安易に子どもに伝えないこと。

「学校はくだらない」と判断してるのは親、その人の価値観であって
それが全てでは無いということ。

そして親は子どもにとても大きな影響を与える存在であることを
しっかり意識した上で子どもに向ける言葉に注意をしてゆく。

わたしも、ついついやってしまうことがあります。
子どもの前で余計な話をしてしまうことが。

特に否定的な話題。

これはなるべく子どもの前ではしない様に気をつけてます。
世界や物事を否定的な視点から見てしまいますからね。
あと、うわさ話的なもの。
これも気をつけたい話題ですね。

ちょっと話を戻しますが
とにかく学校を否定するエネルギーや
子どもの前で学校を否定する場面に
わたしが居れなくなりました。

そんな話題が始まりそうになれば
子どもたちを連れてさっさと家に帰りたくなったし
実際にさっさと家に帰ってたかな!(笑)

全てにおいて完璧とは思わないけれど
学校って実はすごい場所なんじゃないだろうか?
そんな風に感じていたので
わたしはどんどん「学校」という場所に興味を持ち始めました。

来年はPTA役員をやってみようかな。
学校行事に積極的に関わりたいな。
もう一度勉強しなおして10年以上ほったらかしにしてた
中高の教員免許を活かせないだろうか・・・
なぁーんてことを本気で考えてました。

学校という場に外側からではなく
その内側へ行ってみたい!と願うようになったんですね。

そんな時に友人から「幼稚園の給食の仕事をやってみない?」
と話が来ました。

わたしはすぐに「許されるならば、やりたい〜!」と
園長先生にお願いに行きました。

1年前の自分とは180度違う意識のエネルギー。
両極を体験するために、その場に1分でも居られない程
かつて自分がいた意識と離れるエネルギーの変換。

教育を現場の立場から見てみたい。

そう願ったのが、給食のおばさんの始まりです。
もっと子どもたちの様子や現場の先生のことを
感じることができますからね。

6ヶ月でヒロトを預けることにもなったので
子育てにおいても、わたしの意識変化が大いにありました。
1番目のウサコの時では考えられなかったですからね、
0歳児で預けるっていう考え自体が。

これもまた、大きな気づきの連続です。
またの機会に書きますね。

長文お付き合いありがとうごさいます☆

わたしが給食のおばさんになるまで①

わたしが給食のおばさんになれたのには
いろんな方のお陰さまがあるのですが
ウサコの1,2年の時の担任の先生との出会いが
とても大きなものでした。

わたしの意識をぶち壊してくれたからです☆

ウサコが小学校へ上ったばかりの頃。

その頃、わたしの意識はアンチ公教育でした。
しかも、けっこうガチガチの!(笑)

小学校で制服を着せるのも嫌だったし
給食でみんな同じものを食べさせるのも抵抗あり。
子どもに選択肢はほとんどなく
毎日決まった時間に家を出て
興味がなくとも机に向かってなきゃいけない。
なんて不自由な空間なんだ!

同時にフリースクールとかホームスクーリングに興味があり
ウサコが学校へ行きたくないと言うならば
わたしは喜んでホームスクーリングする覚悟はある。
そんな意識でいたので、当然ウサコは
「学校つまらない!行きたくない!」と言い出したんですね。

わたしは自分が望んでいた状況を作って
「嫌なことは、嫌だと言えることは素晴らしい」
「自分の気持ちにフタをせず、ちゃんと自分の感情に正直だ」
なーんて言って、両手をあげて喜んでいたと思います。

「泣いてまで学校なんて行かなくて良い。」
そう言い切っていたわたしと反対にツカちゃんは
「夏休みまでは泣いてでも学校へは行かせる。」と断言。

「それでも嫌がるなら、その時に考える。」

で、わたしも「夏休みまでは」という条件ならば
泣いても怒ってもウサコを学校へ送ることにしたんですね。

今振り返れば、わたしは単純に自由を履き違えていて
ただ革命的なことをしたかっただけのようでした。

制服を着ないことが自由だと思っていたし。
(あっ、でも小学校は私服が良いなぁ〜とは今でも思ってます☆)
これからの教育のスタイルは絶対に変わってゆくと信じていて
目の前のすべてを「古臭い」と感じてたんですね。
宿題だって、本人がイヤイヤやってたら何の意味も無い。
子どもが自分で興味を持った時に学ぶのが一番。

そう信じていました。

確かに、これは正しくもあるんです。

ただ、わたしの意識が偏りすぎてて
全てを否定することで自分の考えを正当化していたんですね。
だから常に何者かと戦ってる感じ(笑)

そんなガチガチのわたしが180度意識が変わったのは
ウサコの担任の先生のお陰でした。

小学校では毎年、担任の先生が変わるんですね。
でもウサコのクラスは珍しく2年連続で同じ担任の先生でした。

その2年間、その先生と接する度に
「一体、わたしは何と戦おうとしていたんだろう?」と感じることがあり
先生は、いろんな制限のある中で
精一杯、子どもたちのことを考えていたんですね。

ウサコが学校へ泣きながら行っていた1年生の初めの頃。
先生はわたしの携帯電話にメールをくれて
「朝、どんな感じで家を出て学校に来たかを
メールでも良いので教えて下さい。」とメッセージをくれました。

教室に入って、たとえ笑顔であったとしても
今朝はどんな感じだったのかを、先生は知りたいと言ってくれたんですね。

それで、しばらくは
「今朝は泣きながら車に乗って学校へ向いました」とか
「機嫌よく家を出ました」とか
時々メールにメッセージを伝えていました。

そんな感じで夏休みを迎え、秋になる頃には
ウサコは楽しそうに学校へ行く日が増えていました。

今思えば、よく分かるのですが
わたしの意識の変化とともに
ウサコの学校への気持ちも変化していたんですね。

「公教育」に思いっきりアレルギーがあったわたしが
担任の先生の人柄に触れるたびに気付かされる事が多く
先生たちも血の通った、子を思う人間なんだという
当たり前のことに気付いた訳です。
(↑かなり乱暴で失礼な表現ですが・・・!)

子どもたちの事を本当に想って毎日を過ごしています。

先生もいろんな人がいます。
言っちゃえば、世界中いろんな人がいる訳です。

それぞれが精一杯にやっているんですね。
誰かの目には間違ってるように映るかもしれません。
それでも、その人なりの「愛情」のもと
精一杯やっているんだなぁ・・・
そんな当たり前のことに気付いたのです。

もうね、この先生には頭が下がるエピソードがたくさんありまして。
その度にわたしは感動しっぱなし!

それで2年生の終わり。
先生を囲んでの懇親会に
夜の居酒屋にも関わらず(笑)
5ヶ月のヒロトを連れてまで参加して
どーしても先生にお礼を言いたかったんです。

ウサコがお世話になったのは勿論のこと
わたしも先生のお陰でとても成長したこと。
実は1年生の初めの頃は
「学校なんて行かなくても良い!」と思ってたこと。
先生のウサコへの想いがわたしの視野を広げてくれたこと。
ウサコの貴重な体験の場を、わたしの考えだけのために
奪わずに済んだこと。
先生が担任で、ウサコもわたしも嬉しかったこと。

全てを直接伝えることができました。

1年生の頃は若干のアレルギーは残っていましたが
それでも徐々に意識は変わっていて
2年生が始まるころには自分でも驚くほどに
「1年前のわたしと全く違う視点を持ったなぁ!」と感じました。

わたしは何処までもわたしらしく
両極を体験して、初めて1つを知るタイプでして(笑)
反対の極へ向かうためには乱暴な程にエネルギー変換がされるようです。

長くなったので、続きは後ほど。

お付き合い、ありがとうございます☆