わたしが給食のおばさんになるまで③

自分では「給食のおばさん」と思ってますが
幼稚園では「給食の先生」と呼ばれてます☆

先生という響き、懐かしいです。

・・・というのも。
わたしは中高の美術教員免許を持ってまして
先生になりたかったことは1度もないのですが
大学が超楽しかったので
受けられる授業はほぼ全て受けるという
ちょっと変わった生徒でした。

なので、教員の授業も参加して
高校へ教育実習もしました。

今思えば、何とも失礼な動機で
「高校の美術の先生っていいなぁ〜」とも考えていました。

だって、美術室が半分自分のアトリエみたいだったし
自分の制作も続けながら仕事も出来るって最高だな!
なーんて考えていました。

大学では銅版画に夢中でしたから
卒業しても自分の制作の場を求めていたんですね。

そんな生ぬるいわたしですから
当然、教員採用試験を突破することもなければ
(一度も挑戦すらしてないか!)
免許はただ取得しただけの免許でした。

その免許がたった一度だけ役にたったことがあり
大学を卒業してからプー太郎で何もしてなかったわたしに
大学から「中学校の臨時教員をしないか?」と声が掛かりました。

もともと、教員への熱意があった訳でもなく
かといって、家でプー太郎でしたので
(何でも良いから、働いて動け!という雰囲気ありますからね。)
とても返事に困っていました。

そしたら母にお尻を叩かれる形で
3ヶ月の契約だし、やってみよう!ということになりました。

あれこれと手続きを済ませて
実家から2時間かけての通勤で
千葉の市立の中学校へ臨時教員として採用されました。

美術の先生が病気で急に入院されて
他の先生達で交代でどうにかこうにか
授業を回していた・・・とうことでして
わたしが来たことをとても喜んでくれました。

新卒で熱意もない22歳のわたしが
中学1年から3年まで全クラスの授業をやるんですが
今思えば、本当に反省ばかりで
もっとあんなことができただろうに・・・
あの子はあんな態度だったけど
何か言葉を掛けられただろうに・・・
と、思い悔やむことの多いこと、多いこと。

授業や子どもたちと接することは
とても楽しくて嫌ではないのですが
もうひとつ、とても大切なものが欠けているんです
当時のわたしは。

ただ、授業をすればよいだけではなくて
もっと根本的なもの。

それが欠けたまま、わたしはどうにか3ヶ月を過ごしました。

せっかく体験させてもらった
教員の現場という立場。

なのに、わたしはその後一度も
「教員になりたい」と思ったこともなければ
自分の表現の世界へドップリと浸かってゆきました。

ま、それは実が熟す時じゃなかっただけの話ですが
それでもその時に接した子どもたちにとっては
1度きりの中学時代であって。
そこで出会う大人ってのは、結構大切だったりする訳です。

だからとても悔やんでも悔やみきれん狀態を
わたしは無意識にもずっと抱えていたんでしょうね。

ウサコの1、2年の担任の先生と飲んだ時に
その話をしたんです。

そしたら先生は

「先生だって、いろんな人がいるから、
その時にツカザキさんと会った子どもたちも
それが縁だったのだから、それもそれでいいのよ。」

と言ってくれました。

「本当に、いろんな人がいるんだから。」

でね、当時のわたしの熱意の無さはとんでもないことですが
もしも熱意に溢れてその3ヶ月を教員として過ごしたとします。

それが結果どうだったのかは、わかりませんね。

それに教員としては常識が無いわたしでしたが
何名かの子どもたちには何かを伝えたかも知れません。

「先生は先生っぽくない」

そんな感じの臨時教員でしたからね。

やはり、全て必要なタイミングというか
必要な体験であるように
その時は、そのわたしが教壇に立った訳です。

教育実習の時もそうだったけど
美術の授業って、5教科に比べると
ちょっと自由な環境なんですね。
表現の授業ですから。

だから、子どもたちもそんな気分で来てるのが
だいたい分かるんですね。

「美術の授業だから、ちょっと眠れるや〜」とかね(笑)

で、中学生も高校生も結構疲れてる訳です。
午後の授業なんて、眠くなる人の方が多くて
わたしも学生時代は起きたくても居眠りしちゃう子でしたので
そこんとこ、よーく理解出来ます。

よーくその気持が分かるので
うつ伏せで居眠りしてる子には
「毎日疲れるよねぇ、3分だけ寝ていいから
3分たったら自分で起きて課題やってね。」って気分。
たいていの子は3分位休んだら自分で起きてました。

だからと言って、クラス全員が3分居眠りするかといえば
そうではなく、それぞれに自分のペースで課題をやってました。

そんな、ある意味テキトーな教員だったわたし。
先程も言ったように、欠けているものがあるんです。

「子どもの目線に立つ」ということ。

先生だから「先生らしく」と常に上から頑張って見てたような気がします。
「頑張って」というのは、自分はまだまだ尻が青いことを自覚してるので
それを隠すかのように頑張って「先生らしく」あろうとしてたんですね。

子育てをして良く分かるのですが
中学生といったら、本当に個がちゃんと芽生えていて
子どもだけど子どもじゃないんですね。
ちゃんと一人一人、個性と自我を持ってるんです。

先生と生徒は決して対等である必要はないのですが
一人ひとり、それぞれに名前があるように
子どもの数だけ、大切な1度きりの人生を生きています。
かけがえの無い存在なんですね。

それを知ろうとすること。

それが当時のわたしに欠けているものでした。

ま、新卒でまだまだ未熟なわたしでしたので
授業をするので精一杯。
目の前にあるのは、カボチャだ!ってなくらいで
必死でやっていたのかも知れません。

でもカボチャではなく
それぞれがかけがえの無い人生の主人公な訳です。

10年以上経って、本当にあの頃の経験が
今のわたしに必要だったのが分かります。

授業や勉強の中身は後からついてくるようなものでして
どんな人に出会うか・・・それで人生変わってゆきます。

何か、そんな映画ありましたね。
思い出したらお知らせします◎

わたし自身が、未熟なまま教員をしていたことがあるので
学校でのいろんな先生に対してモノ言うなんて、とんでも無いというか
未熟でなくベテランであったとしても
みんなにとっての最高の先生であれるなんて
恐れ多くて想像もできません。

ただ、わたしがとっても後悔した
「子どもの目線に立つこと」は
時おり、思い出しながら子どもたちと接してゆきたいと願ってます。

接する子どもたちのためというよりは
自分自身のために
そう在りたいと感じています。

誰かのお手本となり
同時に、誰かの反面教師でもあり。

そんな存在になりたいな!と感じる今日この頃。
更新していない教員免許は恐らく無効!(笑)
でも、わたしらしく(?)有効活用されたので
人生無駄なモノって本当にないもんだなぁ
って痛感です。

長文、お付き合いありがとうございます☆