3.11ストーリー

3.11

あの日から3年が過ぎるんだな。

忘れもしない、3年前の今日という日。
ずっと続くと思っていた千葉での暮らしは、この日を境に大きく変わった。
いや、きっとこの日でなくともいつかは変わっていた日々の暮らし。

大好きな海岸近くのカレー屋さん。
ポストカードを納品して、美味しいランチを食べて帰ろうかと思った14時46分。
まるで波乗りのような大きな横揺れに、お店の本棚が大きく揺れた。

まだ8ヶ月のエイトをちゃぶ台の下へ寝かせ、ツカちゃんはウサコを抱きしめて本棚を支えた。
本当に波乗りみたいだった。

その頃ツカちゃんは腰痛を抱えていて、わたしが車のハンドルを握って家へ向かった。
まだ揺れは続いていて、道路は少し混乱していた。
大地だけでなく空も異様な色をしていて、このまま車を進めたら良いのか停まったほうが良いのか分からなくなった。
そしたら、突然大きなカラスが運転席側のドアに思い切りぶつかった。

異様な空気は空だけではなくて、全てがそうだった。

「そのまま進んで」とツカちゃんが言い、わたしはハンドルを握って家までの20分を運転した。

家に着いて安心したわたしたちは、震源地や津波情報を見たりして家の状態を調べた。
幸い、何事もなかった家の中は、わたしたちを日常へと戻してくれて
夕食を済まし、絵本を読み、授乳をしてお布団に入った。

その夜。

テレビがない我が家のことを思って、市ヶ谷の母が「ネットでニュースを見て。大変なことになってる」と連絡をくれた。

何度目かの授乳で起きたわたしに、ツカちゃんがその映像を見せてくれた時に、始めて知った。
あぁ、ただの地震じゃないんだ。

「明日の夜、子どもが眠ってるうちに山中湖へ行くから、荷物をまとめて」とツカちゃんが言った。

もしかしたら、もう戻って来ないかもしれない予感がして、わたしは冷蔵庫をほぼ空っぽにした。
必要と思われるモノを詰める限り車に乗せ、ガソリンを満タンにして千葉を離れた。

東京を通過するときに、予想以上に町が明るくて人が普通に散歩してるのを見て
もしかして、夢だったのかなぁ…と疑った。
夢だと思いたかったんだろうな。

明け方に山中湖の山荘に着いて、暖をとった。
1週間くらいかな、とにかくわたしたち家族だけで山荘で過ごしテレビやネットで情報を集めた。
そうしてる中で、今度は山梨で震度5の地震があり、どこへ逃げようとこの現実からは逃げられない気がした。

本格的に千葉の家を引き払って山中湖で暮らすことを決めて富士山との生活が始まった。
山の中で、いつも富士山を見ながらの暮らしは奇跡のようだった。
わたしは今までも、何度も転機を迎えてステージを変えてきたけど、
富士山との暮らしは大きなステージへの入口だったんだろうな。

見たことのない世界を信じて観ること。
固い殻をやぶるような時期だったと思う。

だからたくさん悩んだり、膿を出すように、感情も身体もデトック状態だった。
特にわたしはココロのデトックスをして、ツカちゃんは身体のデトックスだった。

今思っても、たくさんのモノを手放せたと思う。
今まで一番の断捨離だったな。

このデトックスや手放すことをしてからじゃないと、わたしたちは熊本へは呼ばれてなかったみたい。
そのくらい、山中湖での半年は重要な期間だった。
ありがとう、富士山。

3.11は人それぞれにストーリーがあって、そのストーリーの違いには何の意味もない。
ただ、人それぞれにストーリーが生まれた。

そのストーリーは、そのひとだけのものであって、比べる必要もない。
わたしが誰かと同じストーリーを綴る必要もない。

宇宙はひとそれぞれに、それぞれのストーリーを与えてくれた。

そんな感じが今はする。

ただ、大きな共通する何かを感じる。
それは沢山の本が並ぶ、大きな図書館のような同じ空間。

わたしは、わたしだけのストーリーを。

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今日、3年目を迎える3.11に地元、熊本の新聞に記事を掲載して頂きました。
珍しくオールキャスト揃ったツカファミリーの写真。
子どもたちが「写真イヤダ〜!」と言うので、ツカちゃんの頭に菜の花を乗っけて気を集めてみました。
(我ながら、大成功!)

取材の時に、熊本へ来た経緯を話していて久しぶりに振り返った3年前。
そういえば、こうして記すのは始めてだな…と思い、綴ってみました。

また時が過ぎれば、同じストーリーも違う言葉で綴るんだろうな。