2014.4.18

午前中は畑が日課になってきた。
ジャガイモは相変わらず元気に伸びていて、畝を外れたところにも芽が出いていた。
いつかのジャガイモが発芽したんだろうなぁ。面白い。

ヒマワリの種はいっこうに芽を出さず。
もうちょっと声掛けてみようかね。

最近、気がついたんだけど虫が付く時期も決まってるみたい。
畑にたくさん生えているカラスノエンドウ。
3月頃は、アブラムシがぎっしりと付いていて食べられるどころじゃなかった。
それでも、どうにか虫がついていない新芽を探しては美味しく頂いていたんだけど、最近はさっぱり虫がいない。
それでいて、とても美味しそうに見える。

きっと初春は虫が何か役割があって付いていて、美味しくなった頃がわたしたちが頂く時なのかも知れない。
いま読んでいる「アナスタシア」での話。

この世界は、すべて人間のために作られている。
あらゆる生き物は、人間のために働いている。
ただ、わたしちがそのことを忘れ、その自然や宇宙の法則から離れてしまっただけ。

畑に立つようになってから思いつくことがたくさんあって、発見が多い。

例えば、これまでは「雑草」と思っていた草花に対しても、わたしの意識が変わるだけでとても違って見える。

「草刈り」と思って草を刈るのと、「収穫」と思って刈ることの違い。
スギナを「雑草」と思ってたころは、明らかにマイナスな意識でいた。
「もう、またこんなに生えてきたー!」って感じで。
でも「あっ、これは収穫だ!」と気づいたとたんに、丁寧に鎌を持ち「ありがとう」と「頂きます」の気持ちが溢れてきた。

そして干してお茶にする。
これを収穫と呼ばずして、何と呼ぶ。

他の草に対しても「良い土になってね」と思いながら刈り取って畝の上に敷いてゆく。
花はできるだけ咲き終えるまで残しておく。
今年は菜の花を自然に倒れるまで、できるだけそのままにしている。
花がまだ残っているガーデン(わたしは畑ではなく、ガーデンと名づけた)に蝶々や蜂がとんでくると嬉しくなる。
これも花がなければあり得ない話。

こんな感じでガーデンと言う名の場所作りをしているけど、まだまだ間違っていることもたくさん在ると思う。
必要以上に土を掘り返したり、草や花を刈っていたり。
そういうことを、感覚的に気付けたらここは素敵な学びの場になるんだろうな。
それから、わたしの最大のテーマである「受け入れる」も、ここでレッスンされてゆくような気がする。
自分の思い通りにしたがる頑固さ。
自分のペースを守ろうとしてまわりをコントロールしたがる自我。
お天気や土や虫や草や、いろんなものたちの働きあってのガーデン仕事は、まさに自分中心には動きえない領域。
わたしはこうして、合わせること、強調することを実践で学べたら嬉しいな。
それはガーデンに関わらず、子どもやパートナーにも当てはまる訳で。

サンサンと輝くお日様みたいに、光を無条件に全てのものに与えられる人になりたいと思う今日この頃。

ガーデンさまさまですね。