旅立ちのとき

先日、わたしの絵を観て涙を流して下さった方がいました。
絵と言ってもポートフォリオなので印刷物だったのだけど、そこに添えた言葉と共に綺麗な涙をみました。
その絵はかなり昔の絵で、10年前くらいになるのかな?

忘れもしない、わたしが羊ばかりを描いていた頃の絵です。
そうそう、わたしには羊時代がありまして。
いま思えば人生のステージが劇的に変化した年です。

持っていた(と思い込んでいた)肩書をすべて一気に失って、何者でもない「自分」にリセットされた時。
何故かは分からないのだけど図書館へ行き、羊の絵をたくさんスケッチした。
そして気付けば、羊の絵を描いては洋楽の歌詞を書き込んでいたわたし。

まぁ、この辺の羊時代はいつか話すとして。

「終わりのはじまり」というタイトルのその絵は、当時のわたしの悲しみや淋しさといった、いわゆる「ネガティブ」な感情が一番現れています。
(もちろん無意識だけどね。)
当時、ずっと側でわたしの状態を見ていた母がそう言いました。

「この絵は1番、悲しい感じがする」

泣いたり、叫んだり、怒ったり、お酒飲んだり、笑ったり、歌ったり。
そんな風に感情を出し切っていたわたしは、解放の手段として絵にも出してたんだなぁ〜と今では分かる。

とても個人的な絵で、誰かが見てもハッピーにはならないだろう…と思ってポストカードにもしなかったし、まして額に入れて飾ることもなかった。

でも絵にタイトルをつける、いわゆる最後の命を吹き込む瞬間には、わたしはとても清々しい気持ちだったのを覚えている。

誰かと別れる時。
慣れ親しんだ場所を旅立つ時。
終わりを告げて去ろうとする時。

本当に胸が引き裂かれる。
戻らない過去に、戻れたらどんなに良いだろうと思う。

でもタイトルを付けようと絵と向き合った時に「あっ、でも始まりなんだ!」と気づいて、何とも言えない幸せを感じた。
ワクワクして心が踊る感じ。

言葉では分かっていた。
頭では分かっていた。

終わりが始まりだってこと。

今までにも、たくさんの人がわたしにそう言った。

分かっちゃいるけど、別れや終わりの瞬間は胸が張り裂けるんだ。
引き裂かれてギュッとなって涙が溢れるんだ。
ピンチはチャンスと言われても、ピンチの時はハラハラするんだ。

当時のわたしは、本当に恥ずかしい程に引き裂かれる感情を味わい尽くした。

昇る朝日に「馬鹿野郎〜!」と叫んでみたり、人通りの多い商店街を地団駄踏んで歩いたり。
昼間からワインを空けて泣き叫んでみたり。

…こう書いてみると笑っちゃうなぁ〜。まるでドラマの主演女優気どり☆

そして、あらゆる手段で感情を出し切ったわたしが、最後に気づいたのがこれ。

「終わりのはじまり」

終わりの瞬間は寂しい気持ちになっても
それが始まりだと分かった瞬間に
目の前が明るくなって
何も怖いものはなくなってしまった。

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わたしがパワーを得た瞬間。

そんな一枚の絵が、10年経ってまたわたしにパワーをくれた。
本当にありがたい。

大切に大切に押入れの中にしまい込んでいた我が子は
10年の時を超えて再び陽の光を浴びました。

今度は海を越えて、本当に新天地へ向かう我が子。
絵を手放すときは、愛娘をお嫁に出すような気分なのだけど
そこには引き裂かれるような別れはなく
心地よい風の吹く、旅立ちのような気分。

まだ絵を描くことを好きでいてくれる自分にさえも、ありがとうと伝えたくなる。

悲しく、寂しい一枚だと思っていたこの絵に、希望の光を観てくれた彼女の感性にも感謝の気持ちでいっぱいになる。
こうして絵に新たな命が吹き込まれてゆくんだなぁ…と実感すると「宇宙には無機質なものは無い」という言葉が体験として理解してゆける。

物にも、わたしと変わらない同じ命が存在していると感じることができた最近。

ここまでくるのに、何十年もかかったけどね(笑)
それもまた良し。