愛について

桜も咲き始めましたね。
真っ黄色の菜の花と、水色の空と、桃色の桜。
この色の組み合わせがとても大好きです。

さて、今日は「愛について」書こうと思います。

つい先日。
わたしはとある好奇心から、あることをしました。

まずはFacebookの自分の基本情報から
誕生日を非公開に設定したのです。

3月23日はわたしの誕生日。
年女のわたしにとっては、いつもよりも記念に思う誕生日でした。

それを本当に、数日前に思いついたように非公開にしてみたんです。
すると(Facebookって本当にすごい〜!)タイムラインにその情報は一切現れないんです。

毎年、Facebookからお誕生日のお祝いメッセージを頂くんですね。
(Facebookを使っている方はご存知と思いますが・・・)
誕生日を公開にしていると、繋がっている人のタイムラインに
「今日は◯◯さんの誕生日です」とお知らせが表示されます。
それを見て、「おめでとう〜」とかメッセージを送ってお祝いするんですね。
あえてそれを外すことで、わたしは何を感じるか・・・ちょっと知りたくなった訳です(笑)

で、もちろん家族にも特に「誕生日」のことを触れずにいたんです。
果たして、覚えているだろうか〜?と起こる現象をただ見ていました。
その時わたしは何を感じるだろうか・・・?

結果発表。

誕生日当日の3月23日。
タイから戻って来たばかりで、パートナー・ツカちゃんは仕事がたくさんあったので
1日中、事務所で仕事をすることになりました。

わたしは、買いに行くものがあったので子どもたちを連れて街までお出かけ。
ツカちゃんも子どもたちも気づく気配が全く無く、わたしの気分は緩やかに下ってゆきました(笑)

(あぁ、やっぱり寂しいと感じるんだな〜わたし・・・)
(自分をご機嫌にできるのは自分だ〜。わたしが大いにわたしを祝おう!)

そう思って買い物を済ませると、お気に入りのカフェで美味しいランチを食べることに。
チョコタルトを4つ買って帰り、ツカちゃんと一緒に食べながら
そこでも、面白いことに小さな「期待」があるんですね(笑)

(さすがにケーキを見たら、ツカちゃんも気づくかなぁ〜)

期待はことごとく裏切られ(笑)夜になり、ご飯を食べて就寝・・・。

まぁ、わたしが望んでそうした訳で、望みは望み通りに叶えられた1日でした。

その夜は、珍しくわたしもツカちゃんも起きていていろんな話をしたんですね。
わたしが最近感じている「自分の心に正直である」というスタンス。
それについてのツカちゃんの考えなど。

いろんな会話をしたあとに、時計を見ると針は12を過ぎたところ。

「そういえば、昨日って何の日か知ってる?」とやっと話題に触れたわたし。
しばらく考えたあとに、ツカちゃんは驚いたように
「・・・あぁぁー!!!」と叫んだと思いきや、とてもとても怒ったんです。

23日はわたしの誕生日で、前日の22日は結婚記念日でした。

毎年、結婚記念日には記念の何かを買っていて(まな板とか、圧力鍋とか、日常的なもので長く使うものをね)
セットとしてわたしの誕生日も何かしていたんです。

その日に間に合うようにタイから帰ってきたのに、忘れていた。
それにとても罪悪感を抱いたツカちゃんは、知っていて黙っていたわたしに怒ったんです。

「自分のスタンスも分かるけど、そのことがどれだけ今、僕を傷つけたか分かる?」

そうなんです。

わたしは、わたしの好奇心(誕生日を祝ってもらえないと、どんな気持ちになるかな〜)のために
このことを意図して、願って、そういう現象を創りだして体感したんです。

だから、その現象を創るにあたって周りの存在が協力して参加してくれたのです。
特にパートナーのツカちゃんには、大切な結婚記念日もセットで忘れてもらう必要もあった訳です。
わたしの好奇心と体感のために、それをしてくれた存在。
そこにわたしは大きな感謝を感じました。

その現象を体験してみて、やはり「寂しい」とわたしは感じたし、
誕生日を覚えていてくれる存在がいたことにも驚きの発見があったし、
忘れていたことに罪悪感を抱くツカちゃんの姿を見ることができたし、
「罪悪感を抱く」という役を担ってくれたツカちゃんに大きな愛を感じたし。

そんな感じで、なんとも表現できない涙が溢れたのです。

宇宙って、こんな感じの好奇心で始まっているんじゃないかな・・・と感じます。

「怒る」ってどんな感じなんだろう?
「許す」ってどんな感じなんだろう?
「楽しい」ってどんな感じなんだろう?

それを体験するためには、それに参加してくれる存在が必要です。

「怒る」ためには、「怒られる」存在が。
「許す」ためには、「許される」存在が。
「楽しい」には、「楽しませる」存在が。

その時に、自分が何を感じるかは、本当に未知の体験なんですね。
それを知りたい!と願ったわたしのために
罪悪感も承知で引き受けてくれたわたしのパートナー。

本当に凄いと思いませんか?
大きな愛を感じずにはいられません。

めったに怒らないツカちゃんが怒るほどに
記念日は大切な日だった訳です。

「怒り」にも愛のエネルギーが存在しているということです。

どんな感情も、同じ「愛」のエネルギーであるということは
頭では何となく理解しているつもりでした。
それを体感として「やっぱり、同じ愛のエネルギーだった」ということが分かったような気がします。

小さな期待をツカちゃんに、ちょいちょい寄せていた自分にも
やっぱり祝って欲しいと思っていたんだな〜と可愛らしく思えます(笑)

だってね、「祝ってもらえない」を体験したいと願ってるはずなのに
「今日はツカちゃんのパスタが食べたい」と言い張ってみたり
わざわざケーキを買って帰ってみたり・・・(笑)

どこまでも、あまのじゃく!

言葉や目に見える現象だけに囚われていると
この根っこにある愛のエネルギーには気づきにくいです。
別に気づいていなくても同じ愛のエネルギーは変わらずに存在しるので
だから、気づいていても気づいていなくてもどっちでも良いんですね。

でもこの根っこにある「愛のエネルギー」は大きすぎて
言葉に表現できない不思議な感覚がします。

まわり全てに感謝しかないような、日向ぼっこのお日様のような
大きくて優しいエネルギーに感じました。

「今度から、そんなゲームしないでちゃんと「祝って〜!」と言ってね・・・」とツカちゃんに言われました(笑)
あはは〜!そうだね、思い通りに体感したので次からはちゃんと素直にお祝いしてもらうようにします☆

わたしが最近、夢中になっていた「どこまでも自分を信じる(愛する)」ゲーム。
これを、本当にとことん楽しんだお陰さま。
次なるゲームがはじまり、はじまり〜。

これはきっと「愛について」がテーマになると感じています◎

体感が伴うまで、しばしお待ちを〜。

長文、お付き合いどうもありがとうございます☆