たとえば、生まれ変わったら

「生まれ変わったら、チョコ崎さんになりたいなぁ〜」
と思うほどに、我が家の愛猫チョコの生き方は素敵です☆

学ぶべき師は、身の回りにたくさん存在していますね!

で、そんな事をわたしが呟くので
「次に生まれるとしたら、何がいい?」という質問が流行ってます◎

先日エイトがまた、わたしに質問を。

「メルちゃん、次に生まれるとしたら、どの時代がいい?」
答えを考えながら、逆に質問してみました。
「エイトはどの時代がいいの?」

そしたら、えーと、えーと…と考えながら答えた言葉。

「戦争している国とか、戦争している時代は嫌だな。」

この言葉を聞いて、みなさんはどんな事を感じますか?

わたしは、4歳のエイトがイメージする「戦争」というものを見てみたいなぁ〜と感じました。
恐らく、絵本とかテレビとか大人からの情報で
彼なりの「戦争」というイメージを抱いているのだと思いますが
それはどんなものなんだろう・・・と素直に興味を持ちました。

では、わたしだったら「戦争」はどういうイメージか・・・。
以前だったら広島の原爆ドーム、はだしのゲンの映像、テレビで見たことのある銃を持って戦う映像などが浮かびました。

そう、「以前」のわたしはそうでした。

今のわたしの世界には、そういうイメージの「戦争」は既に存在していません。
よくよく、考えて感じてみてください。

全て、情報であってわたし自身が体験したことではないのです。

繰り返し見たり、聞いたりすることで、あたかも疑似体験をしているような気分になるけど
わたしが実際に体験していることではないのです。

もちろん、そういう情報に触れるとわたしの感情は動きます。
胸の当たりがギューっと締め付けられるような感覚になります。

でも、それは「その情報に触れた時に、わたしが何を感じたか」であって「戦争体験」ではないんですね。
そういう意味で「わたしの世界には戦争は既に存在していない」と感じるのです。

こういう発言は、けっこう勇気がいることですね(笑)

わたしは戦争を否定も肯定もしていません。

そういう意味(イメージ)での戦争というものは、既にわたしの世界には存在していないので
否定も肯定できないというか、ジャッジする対象が存在していない訳です。

で、最近のわたしが「戦争」という言葉でイメージするものは「日常」です。

「まわりの存在をありのままで受け入れること」
「否定することは、なにひとつ無いこと」

このことを本当に心の底から理解したいと感じているわたしには
「戦争」と呼べるものが大小問わずにたくさん在るわけです。
もうね、「日常」としか言いようのないほどに溢れています。

自分の正しさの証明のために、他者を否定すること。
自分の概念を、他者に押し付けること。
自分の思うように、周りをコントロールしたいと思うこと。
「良し・悪し」で判断すること。

これらのこと全てを「戦争」と呼ばずして、銃を持って闘う人を責めることができるだろうか。
自分も同じことをしているじゃないか。
ただ、血が流れるかどうかの違いで、わたしたちは日常ちいさな「戦争」をしているじゃないか。

そう感じてならない訳です。

先ほど「こういう発言には勇気がいる」と書いたけれど
それも結局は、自分と違う意見を持つ人達を不愉快にさせるだろう・・・という思いの現れですね。
「まわりの存在をありのままに受け入れること」が腑に落ちていれば
自分が否定されたと感じることも既に出来なくなっていて「勇気」なんて必要ない訳です(笑)

わたしのイメージする平和は「みんなちがって、みんないい」世界です。

そこには否定するものは何ひとつなく、それぞれの存在が自分の心の声を聞いて存在を全うしている世界。
わたしは本当にその世界を見たいと心から願っていて、そのための体験ならば何でも受け入れたいと感じています。

外側に囚われすぎずに、自分の中に確かに存在している「戦争」に目を向ける勇気。
わたしには、それしか出来ないなぁ・・・。

「チョコ崎さんのように、在りたいな〜」なんて呟きながらも
やっぱり、1度限りの「わたし」という存在こそに興味があることが判明(笑)
本当「みんなちがって みんないい」訳だから、2つとしてない「わたし」という世界を漫喫してゆこう。

そんなことを感じた今日です。
長文、お付き合いありがとうございます◎

みなさん、素敵な1日をお過ごしくださいね☆