お金について(2)

熊本は今日からしばらく雨続き。
晴天の週末に、ツカちゃんと慌ててサツマイモの苗を植えました◎

今年はほとんど畑に立つことがなく
先日、ジャガイモと玉ネギを収穫するために久々に土を触ったわたし。

そしたら、2年前に種を蒔いて発芽しなかった大葉がアチコチに顔を出していたり
自然に種を落としていた花やトゥルシーも気づいたらいろんなところに在りました。

今年はさらに、のんびりと畑と田んぼを楽しもうと思います。

さて、最近のわたしのテーマ「お金について」ですが
最近そのことについての体感があったので書いてみようと思います◎

ちょっと話が逸れますが・・・。
4年前の2011年の秋にわたしは千葉から熊本へやってきました。
生まれは九州のわたしですが、10代後半からは東京でずっと暮らしていたので
関東圏を離れたのは実に20年振りです。

パートナーのツカちゃんと結婚してから
「少しづつ都内から離れた暮らしをしてみよう」という想いがあり
長女が2歳になる頃に千葉へ引越しました。
海に近いその街はとても住み心地もよく、わたしたには珍しく賃貸の家を更新してもいいな〜と思うほどでした。

そんな矢先に震災があり、海沿いだったこともあり直ぐにその家を引き払い、山梨を経由して熊本へ来ました。

今なら客観的にその頃を思い出すことができますが・・・(笑)
2011年はある人達にとっては混乱の時期であり
また、ある人達にはあまり変わらない日常でした。

で、わたしはまさに「混乱の人達」でした。

本当に、自分がどんな状況を選択するかで体験する世界は全く異なります。
まるでテレビのチャンネルが無数にあって、番組を選ぶかのようですね。

その自分が選んだチャンネルでも、その世界でどんな体験をしたいかで
思考も感情も行動も現象もすべて変わってゆきます。
宇宙って果てしなく無限ですね☆

さてさて。

その頃の自分が存在していた世界(選択していたチャンネル)は、
一方のモノを否定して別のモノを選択する思考が働いていました。

無数の選択肢からチョイスするのではなく
まず否定したいモノがあって自分の選択をするのです。
思考の始まりが「否定」からなんですね。

渦中にある時は、そんなことに気づきもせずにそんな思考して行動する訳です。

お陰様で、沢山の学びある体験ができましたとさ(笑)

否定するもののうちの一つに「お金」も、もちろんありました◎

熊本へ来てから約2年くらいは「マルシェ」にどっぷりと関わる機会を得ました。
「マルシェ」にはいろんな解釈があると思いますが、わたしが捉えているのは
大規模な流通を介さずに作りてから直接使い手へ必要なモノが届けられる、その日限りの市場・・・という感じです。

震災後に「混乱の世界」を選択していたわたしは、それまでのシステムのあり方を否定することを選んだんですね(笑)
で、実際にマルシェに出店したり、オーガナイズして本当にいろいろな体験をすることができました。

「お金」を否定していたので「貨幣制度」はいつか終わりを迎えると思っていました。
それと同時に地域通貨にも興味も強まっていきました。

地域通貨については、震災前から興味があって本を読んでいて色んなやり方があるのは知っていました。
でも不思議なことに、興味がありながら実際に使うことは無かったんですね。
なんとなく、どの方法も上手く流れていない感覚があったのです。
「これからは地域通貨」と囁かれていても、実際の世界はお金で回っている。
本当に貨幣制度が悪いものだったら、すでに違うものに変わってるはずだ。
それなのに、世界はやっぱり「お金」で回っている。

・・・そんな矛盾というか、何とも言えないもどかしさが常にわたしの中にはあったのだと思います。

今ならそのもどかしさが何であったか、だいたい理解できるのですが
当時のわたしは、その時に必要な体験をするのでそのもどかしさには焦点を当てずにいました。

さて、そのマルシェの中でわたしは面白い体験をします。

「物々交換」です。

そう!お金が生まれる前の世界ですね☆

これはとても貴重な体験でした。
自分の心が丸裸になる感じです(笑)

きっと、日常の中でも「お金を介さないエネルギーの交換」は沢山しているのです。
例えば誰かに何かしてもらって、その感謝の気持ちをプレゼントで返すとか
直接何かをしてもらった相手にではなくとも、それを違う形で循環させることは沢山あります。
世界は全てその循環だと言っても過言じゃありません。
良くも悪くも、全てが循環していますからね!

その行為と「お金を介する行為」とでは、違いがあるのは何故でしょう。
「お金」がどうして誕生したのか・・・。
やはり必要だったから誕生したんですね。
物々交換をして生きていた人類が望んだから誕生したんです。
そして、それを今も変わらず使っているということは
わたしたちも必要だと望んでいるから存在しているのです。

望んでいる、必要だと思っている、有り難いと感じている・・・にも関わらず、
それをただただ否定することは、やはりそういう現象を創り出します。
上手く流れないのです。

マルシェでも物々交換がされることがあり、初めはとても新鮮で、楽しいゲームのようでした。
自分が買おうと思ってなかったものが手に入ったり、交渉するのも面白かったです。
勿論ゲームにも勝ち負けがあるように、自分が望んでいないこともある訳です。
納得のいかない交換だったり、仕方がない交換だったり。

だから本当にゲームなんですね(笑)

わたしもマルシェを主催する側になり「マルシェ通貨」を考えたりもしましたが
根っこにはお金の必要性を感じていながらも、そこにフタをして否定する思考から発しているので
上手く創造できる訳もなく結局は机上の空論で終わりました。

何かを否定することが原動力になっている思考は、少なからず摩擦というか歪みを持っているな・・・
ということに何となく気づくようになり、やっとわたしは「お金」に対する素直な関心を持つことが出来ました。
そして何でもバランスが大切だな!ということも体感しました。

わたしは「マルシェ」という形を否定している訳ではありません。
実際にお祭りのようで楽しい空間ですからね☆

ただ、それが全てでは無いということです。

やっぱり、必要なものが確実に手に入るスーパーは有り難いと思うし
作り手の顔が見える温かい感じも時に必要だと感じています。

そして「物々交換」は単に物を交換しているだけでは無いという体験もしました。

わたしはマルシェでは毎度自分で描いたポストカードを並べるのですが
それを何度か物々交換したことがあります。

その中でも印象に残っている2つの異なる体験があります。

ひとつめは、わたしの憧れる人がポストカードを以前から気に入ってくれていて
その何枚かを自身が出店している商品と交換しないか?と交渉してくれたのです。

もちろん、その商品も嬉しいものだったのですが
何よりも、カードを気に入ってくれたこと
その人と物々交換ができること自体が喜びだったのですね。
自分を評価して貰えたような気分でした。

もうひとつは、その人もわたしのポストカードを同じように気に入ってくれました。
わたしがちょうど席を外している間に、何枚か気に入ったのを選んでくれて
お金の代わりに同額の商品が置いてあったんです。

商品はわたしの気に入るものだったのですが
(実際、お金を払って買いたいと思うものでした☆)
何かポッカリと穴が空いたような気分になりました。

交換したものに不満はないのですが、わたしの気持ちや意見が全く無視されていることに
違和感を抱いたんですね。

この2つの物々交換の話を聞いて、どんなことを感じますか?

ひとつめは、「物」だけの交換ではなかったのです。
言葉にするのがちょっと難しいのですが、「物」だけの交換ではないのは明らかです。
きっと「お金」よりも嬉しかったのだと思います。

ふたつめは、もしもこれが商品ではなくお金が置いてあったとしたら・・・。
わたしは違和感や喪失感は抱かなかったろうと思います。
「あっ、いつの間に買っていったんだろう?」くらいにしか感じなかったでしょう。

じゃあ、わたしにとって「物」と「お金」の違いは一体何でしょうか。

長くなってきたので、続きは次回書きたいと思います◎

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。