それぞれが主役(ポポちゃん・5)

自宅出産を扱ってくれる村上さんに会いにゆく前の話。
(詳しくは「ポポちゃん・1」「ポポちゃん・2」「ポポちゃん・3」「ポポちゃん・4」をお読みくださいね☆)

妊婦健診で最初にやる血液検査の結果を待っていました。
3人目で、年齢も重ねているわたしなので
検査結果が出るまでは子どもたちにも両親にも妊娠のことは話しませんでした。

その結果、貧血ではあるものの大きな異常もないことが分かり
わたしの中で、第一関門突破〜☆という感じです。

実は、検査結果が出る前から娘のウサコは
「メルちゃん、ちょっと太ってきたんじゃない?」とか
「お腹、出過ぎ〜!赤ちゃん居るかもよ〜?」とか
そんなことを言ってたんですね。

7歳とは言え、さすが女の子ですね(笑)

検査結果も、たいして問題がなかったので翌日。
ドライブの途中で休憩したソフトクリーム屋さんで子どもたちに伝えました。

・・・というのも、車内での会話でお腹の中に居た時の話になり

「ウサコがお腹に居た時、メルちゃんアイスクリーム食べた?」
「夏だったから、食べてたなぁ〜」と答えると
「じゃぁ、その時ウサコもアイスクリーム一緒に食べてたんだね!」

「エイトがお腹に居た時は〜?」
「もちろん、食べてたな。」
「じゃぁ、エイトもお腹の中でアイスクリーム食べたんだね!」

そんな会話をしていたんです。

その直後に立ち寄ったアイスクリーム屋さんで珍しく1人1つずつソフトクリームを食べました。
(だいたい、子どもは1つを分けっこして食べることが多いです◎)

暑い昼下がり。
4人揃ってソフトクリームを食べている時に「あっ、今だな」という気持ちになり質問した訳です。

「病院に行ったんだけど、メルちゃんのお腹に赤ちゃんが居るでしょうか?居ないでしょうか?」

「えぇ〜、どっち?どっち?居るの?」とソワソワしているウサコに正解を伝えると
口の周りがソフトクリームでグチャグチャな顔で、今まで見たことない位の顔で驚いてました(笑)
(写真に納めておきたい程の顔・・・!)

「だから、今お腹の中の赤ちゃんも一緒にソフトクリーム食べてるよ。」

そして赤ちゃんに名前を付けよう、という事になり「ポポちゃん」と決まりました☆

しばらくしてから、エイトが不思議な話をしてくれました。

胎内記憶がある子どもの話を聞いたことはありますか?
お腹の中にいた時の様子を覚えている子どもたちです。
時には、お腹に宿る前の記憶を語ることもあるそうです。

ウサコもエイトも、そんな話をしたこともないし
「わたしのお腹の中に居たんだよ」と話すと「えぇぇ?!」と驚いたほど
その記憶は風のように消え去っていました。

それに対して、わたしは残念とも何とも感じなかったのですが
ポポちゃんの話をして数日後にエイトがふと、思いついたように話をしてくれました。

「たぶんね、お空でパソコン見ながらこのお母さんの所で、こんな体験しよう〜って決めたんだと思うよ。」
(タブレット画面を指でスクロールさせる仕草をしながら・・・)

もう4歳になっていたし、自身の胎内記憶とは思えなくて
「エイトは、そうだったって覚えてるの?」と聞くと
「違うよ。覚えてるんじゃなくて、そうなんじゃないかなぁ〜って思いついたの。」

時々、タブレットで写真をスクロールして選んだものを見て遊ぶことがあって
その時に「思いついた」そうです。

こんな感じの話は、胎内記憶を持ってる子どもが共通して話すんですね。
「お空に大きなテレビがあって、そこにいろんなお母さんの顔がでてきて選ぶ」

わたしが、その話を子どもたちの前でしたのかどうかは忘れちゃいましたが
「自身の記憶」ではなく「思いつき」というのがエイトらしくて
わたしは彼の言葉をそのまま信じることができます◎

(逆に「覚えてる」と言われると「うそ〜?」と疑ったかも知れません)

「子どもはお母さんを選んでやってくる」

この言葉も耳にした人は沢山いると思います。

わたしも、ウサコやエイトを産んで育てる間に何度となく耳にしました。
でもこの言葉は、まだわたしの中には完全に響いていなくて、ただの「知識」だったんですね。

ポポちゃんがお腹に宿ってから、わたしは体感として、この言葉を理解するようになりました。

わたしが整うのを待って、このタイミングでやってきたこと。
それが、何よりも「ポポちゃんはちゃんと全てを見ていて、時が来るのを待っていたんだ」という確信になっています。

(こればかりはわたしの確信なので、どこまでもメル論です☆)

それと、もうひとつ。

母親は特に、妊娠時期に一体であるために「我が子=自分」となりがちです。
それは生まれてからも続いていて、子どもと自分は運命共同体という感覚。

「子どもは、お母さんを助けるためにやってくる」

この言葉も、どこかで聞いたことがありませんか?

わたしは以前は「子どもと自分は運命共同体」という意識でこの言葉を理解していました。

自分の問題は我が子の問題でもあり。
我が子の問題は自分の問題でもあり。

そんな感覚が少なからずあったと思います。

ポポちゃんを妊娠してから、ふと思いついた事がありまして。

近しい存在(例えば家族とか)は、つい運命共同体のように同化してしまうけれど
実のところ、それぞれが、それぞれの人生というストーリーを味わっているんだな〜
という当たり前のことに、ハッとされました。

他者はあくまでも登場人物で、関係ないと言っちゃえば関係ない。

ポポちゃんは「わたしの体」を通して、ここにやってくるだけで
ポポちゃんは「わたし」では無いということ。

体を貸しているだけで、ポポちゃんが望んだ通りこの地に舞い落ちるように
その間は母親と子どもは運命共同体のような不思議な時期を過ごすだけなのです。

だって、そうでなければポポちゃんが望んだ通りの舞台は整いませんからね!

ポポちゃんが「今度は、こんな役をやりたいんだ!」と望んでいて
わたしは運命共同体のような一体感を持ってポポちゃんという登場人物を完璧に育んでいる。

お腹に宿った瞬間から個性はあって「わたし」ではない存在。

「わたしの人生は、わたしのもの」
「ツカちゃんの人生は、ツカちゃんのもの」
「ウサコの人生は、ウサコのもの」
「エイトの人生は、エイトのもの」
「ポポちゃんの人生は、ポポちゃんのもの」
という当たり前の発見がありました。

あっ、だからといって関係無し〜!という投げやりな感覚ではないですよ(笑)

それぞれの人生というストーリーを尊重するということです。
このメンバーで家族となることを、わたし自身がわたしの人生で決めたこと。
それと同等に、ツカちゃんやウサコやエイトも自分のストーリーのために決めたこと。

同じ舞台に立っているけれど、ストーリーはそれぞれが主役です。

そのことに、ハッと気付かされたのです。

そうなると、どうなるか・・・。

わたしは、わたしのベストを尽くすのみなのです。
例えば「ポポちゃんにとって、どうなのか?」と気を揉む必要は全く無く
ポポちゃんはポポちゃんの望むストーリーを味わうのです。

そういう意味で「赤ちゃんはお母さんを助けるためにやってくる」んですね。
お母さんが自分の人生のストーリーの中で、ベストを尽くすためにやってくる。
決して、赤ちゃんが自身を犠牲にしてお母さんに尽くす訳ではありません。

自分のストーリーでは、誰もが主役ですからね☆

「この体験のために、お母さんの体を借りたよ〜。サンキュー!」くらいの気持ちかも知れませんね。

そしてとても大切なことなのですが・・・。

自分の決めたストーリーを展開して味わうためには、周りの存在が必要不可欠だということ。
自身の主役を味わいつつも、共に舞台に立ってくれる存在への有り難さ。
これが溢れる愛情なんじゃないだろうか・・・と感じる今日この頃。

誰かの脇役に徹するのではなく、それぞれが「自分」という主役をただ漫喫すること。
そのことが同時に、誰かの名脇役となっていること。

宇宙のシナリオって、どこまでも完璧ですね☆

ただ、存在してくれるだけで有り難い。

この言葉が知識ではなく、やっと身に沁みて感じることができました。
今後も何度と無く、味わうのでしょうね。

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