手を繋ぐこと

tetote

赤ちゃんの頃のウサコの手。

ちっちゃいね。

最近、ウサコ&ツカちゃんは揃って家を出て
それぞれ学校、オフィスへ歩いております。

片道50分くらいかな?

手を繋いで歩いてはないと思うけど
2人一緒にあるけるのもいつまででしょうね!

わたしも似たような心境になること多々あり。

例えば、ヒロトくんにオッパイをあげるのも今だけ。
エイトとしりとりしながら幼稚園へ向かうのも今だけ。
ウサコとモノ創りするのも今だけ。
ツカちゃんとオフィスでお弁当食べるのも今だけ。

そんな感じで、いつか終わりが来ることを
センチメンタルになることなく
しっかりと受け入れた上で味わっています。

子どもなんて特に、成長と共にそれぞれの世界へと向かうので
親のわたしと時間を共有するのも本当に今だけですね。

これは何も楽しい時間に限ったことではなくて
今まさに苦しみや悲しみの中にある人でも「今だけ」です。

渦中にある時はそんなこと言ってられないですが
本当に流れ過ぎ去ってしまいます。

だからこそ。

悲しみの渦中に居る場合は、とことん悲しむことをオススメします。

どんなに「あぁ、あの時もっと泣いてりゃよかった!」
…と思っても、もうすでに時は遅し。
想い出に浸って泣いたとしても
その涙は渦中にある時とは比べ物にならないほど別物です。

子育てにおいて、いろいろなシーンがあります。

わたしは3人の子育てという有り難い機会を得て
3人それぞれに苦しい事も素晴らしい事もあります。

どちらもわたしらしく(笑)とことんやった感あり。

苦しかった時は本当につらかったし
素晴らしかった時は我ながらアッパレでした。

だからと言って、苦しんだ時を後悔することもなければ
素晴らしかった時をもう一度!と願うこともありません。

特に第一子は、すべてが初めてなので
煮詰まることの多かった、多かった。
自分自身も未熟ゆえに(今でもまだまだですが!)
ウサコとは本当にぶつかることも多く
泣いたり怒ったり自己嫌悪に陥ったり。
忙しいったらありゃしない。

ただひとつ。
感謝しきれないことがありまして。

とても有り難いことに、そんな不器用な子育てを
ツカちゃんがやらせてくれたのです。

家の中でわたしがプリプリ怒ってばかりで
同じ屋根の下、気分が良いはず無いですよね。

それでもわたしの気が済むまでやらせてくれました。
今ももちろん続いています。

たった一度だけ「いい加減にしなよ!」と
わたしのプリプリ感情を止めたことがありました。

何が原因か忘れちゃったけど
とにかくわたしがウサコに対して凄く怒って
2人で感情のぶつけ合いをしてました。

その時、あまり怒ることのないツカちゃんがわたしに怒りました。

怒り納まらないまま、わたしは怒ることをやめたのですが
その後に想像もしないことが起こりました。

「さっきはゴメンネ。」とツカちゃんがわたしに言ったのです。

みなさん、何に対する「ゴメンネ」だと思いますか?

どこまでもオメデタイわたしは(笑)
(ほらね、やっぱりわたしがウサコに対して怒ったのは正しかったでしょ?)
そんなふうにツカちゃんの「ゴメンネ」を受け取ったのですが・・・

「僕は怒るほどのことじゃないと思うけど、
メルは怒りたかったんでしょ?それをさせなくてゴメン。」

わたしは「へ??」となりポカーンとしてたのですが
「メルがやりたいようにさせなくてゴメン。」

この考え方にわたしは本当に震えるほど驚いたのを覚えています。

誰が悪い、正しいとかでは無かったのです。

そのくらい、わたしはとことんやらせてもらった訳です。

そりゃ、イライラしたり怒ったり自己嫌悪に陥ったりなんて
本当は苦しいからできればやりたく無いですよね。

わかっちゃいるけど、でも感情をぶつけてしまう。
子どもだって嬉しいはずがありませんね・・・。

怒ってるお母さんより笑っているお母さんの方が心地良いに決まってます。
よくまぁ、付き合ってくれたものです。
ツカちゃんもウサコも。

もちろん、今でもドカーンと雷が落ちることもありますが
当初の、訳が分からなく自分でもコントロールできないような
自己嫌悪に陥る爆発ではなくなりました。

これも当時、とことんやり尽くしたからでしょうね。

いろいろなことが流れてゆくと
何であんな体験が自分にあったのだろう・・・?
と思う時があります。

わたしがそれを体験したかっただけかも知れないし
お互いに必要な学びだったかも知れないし
はたまた、理由なんて全く無いのかも知れません。

だから過ぎ去ったことに意味付けする必要はないのだけど
わたしは自分が体験したからこそ
それに近い状況にある人の気持ちを
わたしの立場で想像することができるのです。

相手の気持ちを想像しなさいと言ったって
体験したことのないものをゼロから想像するのって
大人でも難しくないですか?

ましてや、体験がこれから待っている子どもに
それを求めるのは、出来る子と出来ない子があって当然だと思うのです。

でね、例えば今子育てで行き詰まっている人がいたとしたら
わたしは自分の体験を元に、それに近い気持ちは理解できますが
本人の本当の辛さは決して分かることができません。

ただ、これだけは胸を張って言えます。

良いことも辛いことも
必ず過ぎ去ってゆくもの。

渦中にある時は、そんなこと信じられないかもしれないけど
やがて去ってゆきます。

でも真っ只中にある人に「いずれ流れてゆくから心配するな」と言うのは
これまたナンセンスだと思っています。

特に苦しみの中にある人には
この言葉は気休めにもならないでしょうね。

嵐が去って、はじめて「あぁ、そういうことか」となる。
しかもそれは外からではなく、内側からの理解です。

渦中にあって苦しんでいる人には
側にいて、何も言わずに話を聞くだけ
ただそれだけで十分だと思います。

わたしの場合、たいていそうでした。
だから、とことんやらせてくれた家族には
とても感謝しています。

子どもたちには、いろいろな体験をして欲しいと願っています。
もちろん、わたしもまだまだ沢山の体験をするつもりです◎
もっと深めてゆきたいですからね!

ちなみに、わたしがこれまで体験してきた多くのことで
(特に苦しかったり、辛かったりしたこと)
何の意味があったのか・・・?と考えるならば
似たような体験をしている人に少しでも心を寄せられるように
自分自身での体感が必要だったと思っています。

どんなに心を寄せたとしても
本人の気持ちは本人にしか分からない。
そのことを承知の上で
歯がゆいながらも心を寄せたいと願う。

「そうしなさい」という外からの指示ではなく
「そうしたい」という内側からの願いになるには
やはり、自身の体験が必要なんでしょうね。

ちなみに、パートナーのツカちゃんは
わたしが助言を求めない限り
本当に(本当に!)見守る姿勢を貫きます。

昔は「もう、冷たいなぁ!」なーんて思った事もありましたが(笑)
本人が自分で気付くまで待つということが
どんなに深い信頼と愛情か・・・今なら分かります。

まぁ、いろんなタイプがいますから
全てがそうとは言いませんが
わたしは結構な頑固者なので
こうやって自分自身で気付いてゆかないと
素直に納得できないようです。

だからツカちゃんがパートナーなんだろうなぁ。
有り難いですね!

さて、いずれ卒乳してしまうヒロトくんの夜中の授乳。
わたしも十分味わってゆこうと思います。

長文、お付き合いありがとうございます☆