月夜の晩に

新居の寝室は2階にあるのですが
わたしがヒロトと床にゴロ~ンと寝た時に
ちょうど窓から月が見えることに気づいたのが2日前。

授乳中にふと、窓越しに月を見てたら
日中、頭の中をぐるぐると巡っている迷宮入りの考え事が
解決してゆくのを体験しました。

そうなると紐がどんどんほどけるように
いろんな事が浮かんできます。

これを人は「降りてくる」というのでしょうね。

なので、その時感じたことをそのまま記そうと思います。

例えば今。

誰かに対して耐え難い拒絶感があったり
何かにたして許せないほど怒りがあったとして。
誰かの行動や発言にイラッとする自分がいて
その原因(犯人)は何だろう??とモヤモヤしている場合。

その原因は「愛があるゆえ」と言ったら
たいていは「そんなの納得いかない!」とさらに拒絶しちゃいますね。
でもアレコレ理由は並べられると思いますが
正解なんてあるようで無いものなので
最終的には「愛があるゆえ」ということを認めざる負えないようです。

パートナーのこういう所がどうしても許せなかったり
両親のことがどうしても受け入れられなかったり
子どものことでイライラしたり

いろんなシーンがあると思いますが
「許せない」
「受け入れられない」
「嫌いでしかたない」
どれをとっても愛情表現のひとつです。

「愛があるがゆえ」の感情の揺さぶれであって
必ずしも「大好き!」と言ったり、ハグしたり、笑顔を見せることだけが
愛情表現ではありません。

「愛があるがゆえ」怒ったり、否定したり、拒絶したりするものです。

だからもし、アナタが今
親のことを許せなかったり
パートナーのことを愛せないと悩んでいたり
子供のことで思い悩んでいたとしたら
「それは愛があるがゆえだよ。」
「大丈夫、アナタはしっかり相手を愛しているよ。」
と、わたしは心から伝えると思います。

どんなに不器用な表現であったとしても
それは「愛があるがゆえ」であって
ちゃんとアナタの中に愛がある証拠です。

で、そこの所がスーっと腑に落ちてくると
問題だと思ってたことがスルスルと紐解けてゆきます。

昔、親友の友だちがお坊さんになったので
遊びに行ったことがありました。

そこは鬼子母神社で、子授け、安産、子育ての神さまが祀られていました。
いろんな話をした流れで彼が
「祈りと呪いは同じだからね。」と言っていて
わたしもそれと似た感覚を持っていたので
「わかる!わかる〜!!」と妙に納得。

今日の記事の「愛があるがゆえ」も同じことで
表現方法が違うだけで根っこにあるのは「愛」です。

まずそれを受け入れてみると
(この受け入れるまでが時間がかかるんですよね!)
愛の存在を自分が認める訳ですので
良い所が全く見えなかった相手に対して
感謝のような感情が湧いてきます。

そうすると本当に不思議なもので
「愛」がネガティブな表現ではなく
お互いに心地よいものへと変わってゆきます。

一般的にネガティブと言われる感情を味わい尽くすので
対局にある愛のもう一つの形を体験してバランスを取るのだと思います。

でも、同じ愛を体験するならば
心地よい方が断然良いですよね!

いつだってハッピーの方が楽しいですよね。
しかーし!

そうは問屋が卸さない(笑)

・・・というか、全てハッピー!で生きることは可能だとは思います。
でもそれは自分だけの世界のお話であって
そこだけで行きてゆくなら、それも有りかな!ということです。

でもね、じゃあどうしてわたしたちは
地球に生まれてきたか?と問うならば
歯がゆいことがあっても
悔しいことがあっても
憎い相手がいたとしても
その中にでさえ「愛」があることを知るためなんだと思います。

それに気づく体験をしないままに
自分テーマパークを楽しんでいるのであれば
きっといつか上手く回らないことが起こるでしょう。

こんな事がふと、降りてくるように頭に浮かんだ月夜の晩。
みなさまも、良い夏を!

長文お付き合いありがとうございます☆