準備ができるということ(ポポちゃん・1)

わたしは8年前に長女、5年前に長男を出産しました。

どちらもそれぞれに違う出産体験でしたが、マタニティー期を含めても
超が付くほどに安産でした。

「つわり」というものもほとんど無く、
長男の時に台所に立った時に「車酔い?」と感じる瞬間が2度ほどあったくらいです。
それ以外は、食欲もあり、気分の落ち込むことも少なく快適な妊婦生活でした。
出産もツルンと生まれてきてくれて、産後すぐに「もう一度お産をしたい!」と感じたのを覚えています(笑)

そんなわたしですので、許されるならば何人でも産みたいと思っていました。

ところが2年前くらいから「もう出産はしたくない」という気持ちが大きくなり
「出産はもう、勘弁して〜」とまで感じていました。
(↑すごい表現ですね!)

2人の子育ても様々な場面がり、特に自分自身と向き合い始めた時期だったからかもしれませんね。
「もう、出産はしたくない」とハッキリ思った時、その意志の強さに驚いた自分もいまいした。
だって、ちょっと前までは「何人でもウエルカム〜」と本当に思っていましたからね・・・。

この天と地のような差は、一体何だろう?
わたし変わっちゃったなぁのかな?!と驚きました。

で、今ならば納得なんですが、それからのわたしはガッツリと自分自身に向き合う時期でした。
子育て中(特に幼児期)は、自分に向き合うなんてそんな暇ないですよね!
もちろん、子どもを通して自分を知ることは沢山あります。
でも、ガッツリと時間もエネルギーも全て「自分」に向けることは
子育てをしている時期はかなり難しいと思います。

わたしの心が完全に「出産は、もう勘弁〜!」とまで感じきった瞬間
やっと自分へベクトルが向いた訳です。

そうしてこの2年は内面的に多くの変化がありました。

ちょっとオープンにお話しますが(笑)
ここ2年は、パートナーがスキンシップを望んでも
わたしの体と心がそれを受け入れられずにいました。
どうしちゃったんだろう〜?と不思議に思うほど。

ちょっでも触れられると、くすぐったくて笑いの渦に飲み込まれるのです。
もうね、ムードも何もあったもんじゃない。(笑)
子どもが笑い転げるみたいに、ケラケラ笑いが止まらない程にくすぐったいんですね。
そうなると、もうパートナーも「・・・お休みなさい。」と夢の国へ。

申し訳ないことをしました〜(笑)

そんな約2年。
お陰さまで、わたしは自分自身にガッツリ向き合う時間を頂きまして
ひとつ自分の中で納得がいくものがあったんでしょうね。

パートナーシップについても、たくさんの体感がり
「結婚について」シリーズの記事をお読みくださいね☆)
わたしの納得がゆき、快よくパートナーを1ヶ月のタイ行きへ送り出す時に
わたしの方がスキンシップを心から望んだんですね。

・・・あんなにいつもゲラゲラ笑いの渦に飲み込まれていたのが嘘のよう。
体と心は繋がっていますね☆

そして有り難いことに3人目がお腹にやってきてくれました。
計画した訳でもないし、3人目が来てくれたらなぁと思った訳ではないのですが
わたしの心と体の準備が整ったんだな・・・と感じます。
頭ではなく、無意識レベルで「もう、来ても良いよ〜」とサインを送った気がします。

妊娠・出産・育児が始まってしまえば、再び自分のことは後回しにしてましたからね!
あぁ、この時を待っていてくれたんだな。

だから、今回の妊娠はとても驚いたけれど(表面的にはね)妙に納得のいくものでした。
「有り難い」としか言いようがない。

そうそう。
自分に向き合うことは、なにもこの2年で完結した訳でもなく
どんどん違う扉を開けるように続いてゆきます。

このスペシャルな機会を頂いたからには
思う存分味わって、どんなことも自分自身で体感してゆきたいですね☆

このタイミングだからこそ、わたしが感じることをありのままに綴ってみようと思います。

お付き合い、ありがとうございます。

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MELクレヨン画展2015

昨日は久しぶりに「MEL工房」でマルシェに出店でした。
ポートフォリオを追加したり、展示用の棚も修正したり・・・
見せ方をもう少し工夫したいな!とおもいました◎

お越しくださったみなさま、ありがとうございました。

さて、来週からは熊本市内にあります「とぅから家」さんで展示させて頂きます。
毎回、展示の時には新作を描き上げるのですが
今年は今までの作品を何かの形にしたいな〜という想いがあり
この14年の間に描いてきた作品たちを並べる予定です。

もちろん、今年も新しく描き続けますよ〜

と言う訳で、わたしにとっては懐かしかったり想い出深い作品たちが
再び額装されてお日様の光を浴びます☆
ぜひ、お立ち寄りくださいね。

2015

『MELクレヨン画展2015』

2015年6月22日(月)〜7月2日(木)
会場 「tsunagu cafe とぅから家」
   熊本県熊本市東区江津1丁目24-12

[月・火・木] 11:30~15:00(L.o 14:00) ランチタイムのみ。
[金] 11:30~15:00(L.o 14:00)  17:30~21:00(L.o 20:00)
[土] 11:30~21:00(L.o 20:00)
[日] 12:00~20:00(L.o 19:00)
[水] 定休日

※ワンドリンクオーダーをお願いします。

そして、わたしがずっとやりたい・・・と思っていたワークショップも開催します。

2015WS

親子向けと大人向けの2種類のワークショップです。

親子向けバージョンは、今まで何度もやっているクレヨンを重ねて針でひっかいてお絵かきをします。
子どもの頃に、一度はやったとこがありませんか?
黒く塗りつぶした紙から、カラフルな線がでてくる感動は大人になっても変わらないものです。
親子で楽しめるワークショップです☆

そして!
大人向けのワークショップは、これから積極的にやっていきたいな・・・と思っているワークショップです。
「絵を描くのは苦手、でも描いてみたい」と感じている人にも優しい入り口になれば良いな、と思います。
単純なパターンを繰り返し描いて、オリジナル曼荼羅を制作します。

どちらも定員があるので、興味がある方はご連絡くださいね。

【親子のワークショップ*ひっかきクレヨン・アート】

クレヨンを重ねて針でひっかいてポストカードサイズの絵を描きます。
下地から全て制作し、オススメの道具やポイントをお伝えします。
誰でも簡単にアート作品を創ることができるのでお気軽にご参加ください。
※大人・子供のみの参加も可能です。小学生未満は大人同伴でお願いします。

【日時】6月27日(土)14時〜15時
【参加費】 500円(+ワンドリンク)
【定員】 10名

【大人のワークショップ*オジリナル曼荼羅・アート】

絵を描いたことが無い人は、誰ひとりとしていません。
そして絵を描いている時は、過去でも未来でもない「今」に居ます。
わたしが14年間クレヨン画を描き続けて気づいたことを惜しみなく
全て伝えたいと思います。
「絵を描くのが苦手」と思っている方、ぜひご参加ください。
※集中して制作するので、大人のみ参加でお願いします。

【日時】7月2日(木)14時〜15時
【参加費】 1,000円(+ワンドリンク)
【定員】 5名

お問合せ
mel.tsuka@gmail.com
090−8042−9495

どうぞ、宜しくお願いします。

お金について(3)

週末に家族で東京へ帰省する機会があり、2泊3日のとんぼ返り。
半年振りなんですが、今回は新鮮な印象を持ちました。

街が変わっていた!
特に駅前は大きなビルが新しく建っていたり、更地になっていたり。
東京は本当にスピードが速いですね。

子どもたちを両親にお願いしてパートナーのツカちゃんと昼間のデート散歩ができて
詰め込んだスケジュールの割には都会を楽しめました☆

さてさて。

そんなとんぼ返りから数日が過ぎてやっと落ち着いてきました。
前回の続きを書こうと思います。

一度は思い切り「お金」を否定して、お金が生まれる前の「物々交換」を体験したわたし。
2つの物々交換は、全く違う印象を抱いた訳です。

そして「お金」がわたしにとって何なのか・・・真剣に知りたくなりました。

席を外しているうちに、同額の商品が置いてあった物々交換。
この体験は本当に貴重なものでした。
「お金」ではなく「物」が置いてあったからこそ、わたしは大切なことに気づけました。

これが「お金」だったら、わたしは違和感を抱くことはなかったはずです。
(あくまでも、予測ですが・・・)

物々交換のルールでもある「交渉」がまるっきり抜けた、この物々交換。
それによって生じた違和感は一体何だったのでしょう。

商品が気に入らなかった訳ではなく、「わたしの意志が尊重されていない」という点に
わたしの心は引っかかりを感じたんですね。

そうなんです。「お金」には、受け取る側に選択肢があるのです。
これはとても優しく親切なことだと思います。

例えば、子どものおやつ。

「はい。おやつだよ」と冷蔵庫からプリンを出して渡します。
子どもは喜んで大好きなプリンを食べました。

「おやつはプリンとゼリー、どっちにする?」と子どもに尋ねます。
子どもは喜んで大好きなプリンを食べました。

さて、あなたはこのふたつの違いを感じますか?
結局どちらもプリンを食べていますが、このふたつプリン・・・同じ味だと思いますか?

「お金」には「選べる」という優しさがあるのです。
受け取る側に選択肢がある・・・しかも無限の選択肢が。
本当に優しいなぁ〜!とわたしは感じずにはいられません。

誰かのお金の使い方に、アレコレ物を言いたくなるうちは
この「お金」の優しさには気づけません(笑)
無限の選択の自由があるはずの「お金」を条件付きでしか渡せないのであれば
それは本来のお金の力を奪っていることになります。

もちろん逆も然りです。

「無限の選択肢が自分にある」と素直に受け取ることができると
「無限の選択肢を自分に与えてくれた相手」を感じることができます。

そうそう、最近また面白い物々交換がありました◎

それはイベントのチラシのデザイン・制作の依頼でした。
イベントのチラシを作ることは、今までも何度もありますが
わたしにとっては、かなりスイッチを切り替える作業になるんですね。

自分の制作スイッチが入った時に描く絵とは違って
頼まれたことを理解して、考えて、さらには納期を守る・・・。
時間もエネルギーの使い方も普段とは違うスイッチを使う訳です。
仕事って、ほとんど全てそういうものですね!

普段のんびりな絵描き主婦をやってるわたしには、このスイッチを入れるのに
まだまだエネルギーを要する訳です。

だから初めからわたしは「仕事としてなら、受けさせて頂きます。」とデザイン料を提示しました。
「そのくらい、お友達だしボランティアでやったら?」という声もあるだろうけど
いかんせん、わたしの心がそれでは納得しなかったんです。

先方の了承を得てすぐに制作に入ると、思いのほか早く完成して驚くほどスムーズに入稿でき、仕上がりも喜んで貰えました。

すると面白いことに、「デザイン料は是非とも物々交換にしたい」と心から思ったんですね。
結局、わたしは望む以上のお礼を頂いて物々交換は成立しました☆

何故わたしは物々交換にしたい!と思ったんだろう・・・と見つめてみると面白い発見がありました。

実は、わたしは既にお金を受け取っていたんです。
・・・ちょっと難しいですね(笑)

「デザイン料として◯◯円」と提示した時、先方はわたしの意志をそのまま尊重してくれました。
値切ることもなく、渋ることも一切ありませんでした。
その時点で、わたしはお金というエネルギーを受け取っていたのです。
既に十分なお金のエネルギーは受け取っていたので、形としては物々交換を望んだのだろうと思います。

単なる紙の受け渡しでは無い、本当のお金の姿。
その一面をチラリと見れたような体験でした。

こればかりは、本を読んだり誰かの話を聞くだけでは、なかなか理解するのは難しいですね。
「お金」をただ否定するのではなく、「お金」に対する純粋な好奇心があって様々な体験ができます。

もしかしたら「お金」は単なるシンボルなのかもしれません。
わたしにとって、まだまだ未知な存在の「お金」
結論は無いのかも知れませんが、わたしが感じたままに「お金」の姿を綴ってゆこうと思います。

長文、お付き合いどうもありがとうございます☆

お金について(2)

熊本は今日からしばらく雨続き。
晴天の週末に、ツカちゃんと慌ててサツマイモの苗を植えました◎

今年はほとんど畑に立つことがなく
先日、ジャガイモと玉ネギを収穫するために久々に土を触ったわたし。

そしたら、2年前に種を蒔いて発芽しなかった大葉がアチコチに顔を出していたり
自然に種を落としていた花やトゥルシーも気づいたらいろんなところに在りました。

今年はさらに、のんびりと畑と田んぼを楽しもうと思います。

さて、最近のわたしのテーマ「お金について」ですが
最近そのことについての体感があったので書いてみようと思います◎

ちょっと話が逸れますが・・・。
4年前の2011年の秋にわたしは千葉から熊本へやってきました。
生まれは九州のわたしですが、10代後半からは東京でずっと暮らしていたので
関東圏を離れたのは実に20年振りです。

パートナーのツカちゃんと結婚してから
「少しづつ都内から離れた暮らしをしてみよう」という想いがあり
長女が2歳になる頃に千葉へ引越しました。
海に近いその街はとても住み心地もよく、わたしたには珍しく賃貸の家を更新してもいいな〜と思うほどでした。

そんな矢先に震災があり、海沿いだったこともあり直ぐにその家を引き払い、山梨を経由して熊本へ来ました。

今なら客観的にその頃を思い出すことができますが・・・(笑)
2011年はある人達にとっては混乱の時期であり
また、ある人達にはあまり変わらない日常でした。

で、わたしはまさに「混乱の人達」でした。

本当に、自分がどんな状況を選択するかで体験する世界は全く異なります。
まるでテレビのチャンネルが無数にあって、番組を選ぶかのようですね。

その自分が選んだチャンネルでも、その世界でどんな体験をしたいかで
思考も感情も行動も現象もすべて変わってゆきます。
宇宙って果てしなく無限ですね☆

さてさて。

その頃の自分が存在していた世界(選択していたチャンネル)は、
一方のモノを否定して別のモノを選択する思考が働いていました。

無数の選択肢からチョイスするのではなく
まず否定したいモノがあって自分の選択をするのです。
思考の始まりが「否定」からなんですね。

渦中にある時は、そんなことに気づきもせずにそんな思考して行動する訳です。

お陰様で、沢山の学びある体験ができましたとさ(笑)

否定するもののうちの一つに「お金」も、もちろんありました◎

熊本へ来てから約2年くらいは「マルシェ」にどっぷりと関わる機会を得ました。
「マルシェ」にはいろんな解釈があると思いますが、わたしが捉えているのは
大規模な流通を介さずに作りてから直接使い手へ必要なモノが届けられる、その日限りの市場・・・という感じです。

震災後に「混乱の世界」を選択していたわたしは、それまでのシステムのあり方を否定することを選んだんですね(笑)
で、実際にマルシェに出店したり、オーガナイズして本当にいろいろな体験をすることができました。

「お金」を否定していたので「貨幣制度」はいつか終わりを迎えると思っていました。
それと同時に地域通貨にも興味も強まっていきました。

地域通貨については、震災前から興味があって本を読んでいて色んなやり方があるのは知っていました。
でも不思議なことに、興味がありながら実際に使うことは無かったんですね。
なんとなく、どの方法も上手く流れていない感覚があったのです。
「これからは地域通貨」と囁かれていても、実際の世界はお金で回っている。
本当に貨幣制度が悪いものだったら、すでに違うものに変わってるはずだ。
それなのに、世界はやっぱり「お金」で回っている。

・・・そんな矛盾というか、何とも言えないもどかしさが常にわたしの中にはあったのだと思います。

今ならそのもどかしさが何であったか、だいたい理解できるのですが
当時のわたしは、その時に必要な体験をするのでそのもどかしさには焦点を当てずにいました。

さて、そのマルシェの中でわたしは面白い体験をします。

「物々交換」です。

そう!お金が生まれる前の世界ですね☆

これはとても貴重な体験でした。
自分の心が丸裸になる感じです(笑)

きっと、日常の中でも「お金を介さないエネルギーの交換」は沢山しているのです。
例えば誰かに何かしてもらって、その感謝の気持ちをプレゼントで返すとか
直接何かをしてもらった相手にではなくとも、それを違う形で循環させることは沢山あります。
世界は全てその循環だと言っても過言じゃありません。
良くも悪くも、全てが循環していますからね!

その行為と「お金を介する行為」とでは、違いがあるのは何故でしょう。
「お金」がどうして誕生したのか・・・。
やはり必要だったから誕生したんですね。
物々交換をして生きていた人類が望んだから誕生したんです。
そして、それを今も変わらず使っているということは
わたしたちも必要だと望んでいるから存在しているのです。

望んでいる、必要だと思っている、有り難いと感じている・・・にも関わらず、
それをただただ否定することは、やはりそういう現象を創り出します。
上手く流れないのです。

マルシェでも物々交換がされることがあり、初めはとても新鮮で、楽しいゲームのようでした。
自分が買おうと思ってなかったものが手に入ったり、交渉するのも面白かったです。
勿論ゲームにも勝ち負けがあるように、自分が望んでいないこともある訳です。
納得のいかない交換だったり、仕方がない交換だったり。

だから本当にゲームなんですね(笑)

わたしもマルシェを主催する側になり「マルシェ通貨」を考えたりもしましたが
根っこにはお金の必要性を感じていながらも、そこにフタをして否定する思考から発しているので
上手く創造できる訳もなく結局は机上の空論で終わりました。

何かを否定することが原動力になっている思考は、少なからず摩擦というか歪みを持っているな・・・
ということに何となく気づくようになり、やっとわたしは「お金」に対する素直な関心を持つことが出来ました。
そして何でもバランスが大切だな!ということも体感しました。

わたしは「マルシェ」という形を否定している訳ではありません。
実際にお祭りのようで楽しい空間ですからね☆

ただ、それが全てでは無いということです。

やっぱり、必要なものが確実に手に入るスーパーは有り難いと思うし
作り手の顔が見える温かい感じも時に必要だと感じています。

そして「物々交換」は単に物を交換しているだけでは無いという体験もしました。

わたしはマルシェでは毎度自分で描いたポストカードを並べるのですが
それを何度か物々交換したことがあります。

その中でも印象に残っている2つの異なる体験があります。

ひとつめは、わたしの憧れる人がポストカードを以前から気に入ってくれていて
その何枚かを自身が出店している商品と交換しないか?と交渉してくれたのです。

もちろん、その商品も嬉しいものだったのですが
何よりも、カードを気に入ってくれたこと
その人と物々交換ができること自体が喜びだったのですね。
自分を評価して貰えたような気分でした。

もうひとつは、その人もわたしのポストカードを同じように気に入ってくれました。
わたしがちょうど席を外している間に、何枚か気に入ったのを選んでくれて
お金の代わりに同額の商品が置いてあったんです。

商品はわたしの気に入るものだったのですが
(実際、お金を払って買いたいと思うものでした☆)
何かポッカリと穴が空いたような気分になりました。

交換したものに不満はないのですが、わたしの気持ちや意見が全く無視されていることに
違和感を抱いたんですね。

この2つの物々交換の話を聞いて、どんなことを感じますか?

ひとつめは、「物」だけの交換ではなかったのです。
言葉にするのがちょっと難しいのですが、「物」だけの交換ではないのは明らかです。
きっと「お金」よりも嬉しかったのだと思います。

ふたつめは、もしもこれが商品ではなくお金が置いてあったとしたら・・・。
わたしは違和感や喪失感は抱かなかったろうと思います。
「あっ、いつの間に買っていったんだろう?」くらいにしか感じなかったでしょう。

じゃあ、わたしにとって「物」と「お金」の違いは一体何でしょうか。

長くなってきたので、続きは次回書きたいと思います◎

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

初心にかえる

no-05

「メルの絵は、どうしていつもウンコが出てるの?」と良く聞かれました。
本当だ!どの絵にも、必ずと言って良いほどに、お尻から何かが出てる!(笑)

クレヨン画を描き始める前、銅版画をやっていた頃から
わたしは四足動物を描くのが大好きで
彼らのお尻からも何かが出ていました◎

昔のブログ記事にも一度書いたことがあるのだけど
最近になり、この初心を思い出す出来事がありまして。
あぁ、わたしもこの気持ちを忘れずにいたい・・・と感じたのです。

本当に、昔の自分に気付かされることが多いです。
もう時間の軸は関係ないですね!

それはさておき。
このお尻から出ているものは一体何か?・・・気になりますね(笑)

絵を本格的に描くようになったのは、大学4年生くらいからなので
20代前半のわたしは、「自分の表現」というものにとても関心がありました。
自分らしい表現方法とか、何を表現したいのか・・・そういうことに悩んだりしていました。
誰かの模倣ばかりではなく、自分にしかできない表現を模索していたんですね。
で、そのお年頃によくあることで「自分とは?」という自分探しもしていた訳です。

青春ですね!

自分探しの旅に出る人もいれば、本を読み漁ったり、音楽に夢中になったり
人の数だけその答えを探す方法はあります。

わたしの場合は、たまたま絵を描くこと(表現すること)でした。

今でも鮮明に覚えているのですが、絵を描くこと(表現すること)は、わたしにとって
「生み出す」というよりは「吐き出す」という表現の方が的確で
新しいものを創りだすキラキラした面よりも、自分の内面を外へ吐き出すエゴのような部分の方を強く抱いていました。

自分の体を維持するために、食べ物を取り入れて、それを吸収して排出するように
自分の心を維持するために、周りから沢山の刺激を吸収して表現することは
まさに排出することと何ら変わらないと感じていました。

アートとして表現する時、何か自分は新しいものを生み出している、創造している気になるのだけど
それは何様のつもりだろう・・・。
自分が表現するものが、誰かを不快にさせることもある。
自分の表現するものが、何かを傷つけることもある。
生み出している気になるけれど、それは同時に排出することでもある。

そんなことを本気で考えていたので、それを忘れないようにお尻からウンコが出てたのです(笑)
別に、このウンコは伝えたいメッセージではなく100%自分へ向けての戒めだったので
「何でお尻からウンコが出てるの?」と聞かれても、当時は説明したことは無かったと思います。
「面白いでしょ?」くらいにしか答えなかったんじゃないかな。
周りの人はどうであれ、自分が表現することは同時にウンコも吐き出しているんだよ、ということを
常に忘れずにいようと思ったんですね。

途中から、わたしの絵からウンコは登場しなくなるのですが、
あえて描かなくとも、そのことを自覚して絵を描けるようになったからです。

どんなことも、裏表があるように両方を持ち合わせています。
見ないふりをしたって、毎朝トイレに行くわけだし
生み出してるものが素晴らしいと自分は感じていたとしても
地球や誰かにとっては大迷惑な代物かもしれません。

特に昔の作品はそうなんだけど、
「メルの絵は、面白いんだけど孤独とか寂しい感じもあるね」と言われることがあります。
ちょっとシニカルな面がある感じです。
わたし自身がそういうものに惹かれるので、きっとその影響かもしれません。

とにかく、キレイ事を並べたような、ただ美しくて楽しくてキラキラしているだけのものよりも
奥に深い闇や人間臭いものを含んでいる方がはるかに大好きです。

自らウンコをまき散らしたいとは思わないけど、
表現する以上、存在する以上、わたしはウンコを見ない振りは出来ません。
進んで周りを不快にしたいなんて、塵とも思わないけど
自分は周りを不快にしていないなんて傲慢にもなりたくないのです。

かと言って、ウンコのない世界に行きたいか?と言われると
そんな退屈な世界は御免だな!と思います(笑)

わたしの世界、今このままでとても完璧です。
そう思えない時ももちろんあるけれど、そう思えない瞬間も完璧なのです。

こんなにウンコを連発する記事を読んでくださり、ありがとうございます◎
ね、この時点でもうウンコを吐き出してる訳ですよ、わたし。
不快になった方がいたら、そこんとこはご愛嬌さま☆